ポルシェの「眠れる森の美女」│倉庫で静かに眠る500台以上の珍しいお宝たち

Photography: Matthew Howell



たぶん空力研究の対象だったと思われる924ベースの"ミステリーカー" も興味深い。我々が取材で訪れた日も、ミュージアムのスタッフはこの風変わりな924の歴史をほじくり返しているところだった。管理車両が500台以上もあれば、1台くらい"身元不明" があったとしても無理はない。ポルシェに関することは何でも知っているはずのカール・ルドヴィクセンによれば、この924の開発は1976年に着手し、翌年までおよんだ。目的はメルセデスのC111が記録を更新した1万マイル国際速度耐久に挑むことで、人気がなかった924の知名度を一気に上げる魂胆だったといわれている。

フォルクスワーゲン社の風洞テストを使い、924 のCd値を0.36 から0.268まで下げる。一方でエンジニアたちは、巨大なターボとフロントフェンダーの"鼻腔"による最短排気により、2.0リッター4気筒ながら、わずか5500rpmで最大出力をノーマルの125bhpから255bhpまで引き上げたのだ。これはノンストップでの1万マイル走破を目標とすれば十分信頼に足るチューンであり、後のレーシングバージョンでは、420bhpもの出力を記録している!


"眠れる美女たち" の中には当然、いくつか引退したサラブレッドも存在する。ポルシェの多様な歴史は純白の8気筒ショートテールの908から、真っ赤な4気筒のトラクターまでにおよぶ。この2台の馬力の差は250bhpもあり、ミュルサンヌ・ストレートで競えば、そのスピード差は180mphにも及ぶだろう。
 
さらに気になるのは、やつれた雰囲気の1台の"美女" だ。やや色褪せているが間違いなく近代のレーシング・ポルシェにとって重要な1台に違いない。ボディからは既に8気筒エンジンが降ろされてしまっているが、これこそが"オロン-ヴィラールのスパイダー" である。大陸ヨーロッパではイギリスよりもヒルクライムが重要視されてきた。1965年のシーズンではフェラーリが先に頂上に辿り着いていた。



その主導権を取り戻すべく、フェリーの孫で才能豊かな実験部門の責任者であったフェルディナント・ピエヒは、わずか3週間で全く新しくデザインを起こした。それまでのマシンは従弟のブッツィ・ポルシェが設計した鋼板プレスシャーシの904をベースとしており、水平対向8気筒エンジンを積んでいた。ピエヒはこの904シャーシを捨て、1948 年の初代ポルシェ・ロードスターや1950~60年代のレーシングカーで使われていたスペースフレームを採用したのだ。
 
このマシンが初めて姿を現したのは、スイスで行われたオロン- ヴィラール8kmのヒルクライムだった。しかし、その努力も空しく、ゲルハルト・ミッター選手はフェラーリに続く2位に終わった。だがそこで学んだことは同時期に開発されていた6気筒906(カレラ6)へ引き継がれる。ピエヒが行っていたスペースフレーム規格も進化を続け、後に無敵となる917に採用されることに。
 
倉庫を後にするとき、夕陽に輝く数百台ものポルシェを目にすると、同社がこれらを"眠れる森の美女"と大切にしている意味がよくわかった気がした。

編集翻訳:石丸 淳 Transcreation: Jun "Romano" ISHIMARU 原文翻訳:関根真理 Translation: Mari SEKINE Words: Delwyn Mallett Photography: Matthew Howell

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