60年を経て蘇った!フェラーリ テスタロッサから再製作されたレーシングカー

Photography:Reverendpixel

この記事は『大破したフェラーリ・テスタロッサから生まれた!│「再製作」されたレーシングカー』の続きです。

元のテスタロッサに戻されて長い時間が経ったCEGGAフェラーリは、興味深いが小さな脚注としてモータースポーツの歴史の隅に記録されるはずだった。だがそこにデイヴィド・コークが登場する。かつてイングランド代表のラグビー選手で、後にビジネスマンとしても成功したデイヴィド・コークは1990年代にヒストリック・レーシングの世界に足を踏み入れた。コークの車はいつもニール・トワイマンが面倒を見ていた。


トワイマンが手掛けたテスタロッサの"リクリエーション" を一時所有していたコークは、もう一台他の車を手に入れたいと望んでいた。そこでトワイマンが聞きつけてきた車は、オークションで落札されなかった250GTボアノ(No.0611)をベースにした初期の"コンバージョン"で、コークが言うにはボディはとにかく酷い状態だったという。とはいえ、それでもステアリングボックスやドラムブレーキなど、いくつものテスタロッサのオリジナルパーツが装着されていた、
 
もともとの計画は、テスタロッサ・プロトタイプのリクリエーションを作るというものだった。だが他の会社が同様のものを製作中と聞いて、考えを改めることになった。「何か特別なものにしてほしいとニールに頼んだ」とコークは振り返る。

「インターネットを漁っていたらCEGGAフェラーリの写真を見つけた。そしてガシュナン兄弟の歩みを辿ってみようと考えたんだ。家族と一緒にスキー旅行でスイスに滞在していた時に、妻にこう言った"実は約束がある。彼らは今も健在で、ここから遠くないエイグルにガレージを持っているんだ。彼らに会いに行くつもりだ"とね」


「地元のワインバーで素晴らしいランチを一緒にしたが、ジョルジュは熱心に話を聞いてくれた。手助けしてくれるかと尋ねると、彼は"もちろん、ワークショップに戻ろう。そこに車のパーツがまだ残っている"と言った」

「私は彼とクロードを英国に招き、彼らはプロジェクトをサポートしてくれた。充分なものではなかったが、ごく初期の図面も残っており、さらに写真や新聞、雑誌の記事も少しは役に立った」

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:James Page Photography:Reverendpixel

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