ボンドカーとアストンマーティン「ゴールドフィンガー・エイジ」

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"ゴールドフィンガー・エイジ"という言葉がある。この意味は、1964年9月に公開された007ジェームズ・ボンド・シリーズの映画、『ゴールドフィンガー』を観て、ボンド氏(俳優はショーン・コネリーでなければならない)に感化された世代を指す。
 
暴力がつきものの秘密諜報員でありながら、英国紳士のマナーを会得し、英国の伝統的な品々と、美女を好むボンド氏にスマートさを感じ、スクリーンに見入った世代だ。敵と戦うボンドが駆るアストンマーティンDB5に心を奪われた青年(少年)は、彼が好んだ傘やアタッシュケース、拳銃、カクテルなどの品々に関心を払い、いつかDB5を所有することを想い描きながら成長、そして幸運な人は、めでたくDB5を入手となるというのが、ゴールドフィンガー・エイジについての"話の落ち"となる。
 
だが、このスクリーンで初めてアストンマーティンという名の高級なスポーツカーの存在を知った人々は少なくなかったはずであり、少数ではあろうがDB5オーナーとなった人々が存在したことは想像に難くない。現在のように情報を容易く入手できなかった時代、こうした映画は重要な情報源であり、得た情報は深く脳裏に刻まれ、時に憧れに繋がるものだ。
 
だが、ジェームズ・ボンド・シリーズの原作者であるイアン・フレミングが執筆に励んでいた時代には、まだDB5は存在していなかった。小説『007』シリーズの第一作は1953年に発表された『カジノ・ロワイヤル』であり、1959年に出版された長編第七作目の『ゴールドフィンガー』では、フレミングはボンドにアストンマーティンDB Mark III(1957~1959年)を与えていた。それが、1964年9月に映画が公開された際には、最新型のDB5(そのプロトタイプを使用)に変わったというわけである。余談ながら、イアン・フレミングは、封切りを前にした1964年8月に遺作となった『The Man with the Golden Gun(黄金の銃をもつ男)』の校正中に心臓麻痺で死去(享年55)した。
 
アストンマーティンの登場以前、主に小説の中でボンドに運転させていたのはベントレーであった。1930年と1933年型の4.5リッター、そしてRタイプ・コンチネンタルである。ヴィンテージ・ベントレーは英国を代表するタフなスポーツカーで、ルマン24時間レースでは欧州大陸勢に後塵を浴びせかけた英雄であり、英国を守る諜報員にとって相応しい〝武器〞であった。だが、1955年に発表した小説『Monnraker(ムーンレイカー)』では、ベントレーに乗ったボンドは、悪役ヒューゴ・ドラックスの最新型メルセデス300Sとカーチェイスを繰り広げたあげく、競り負けてクラッシュしてしまうという設定であった。
 
政治家を父に持つイアン・フレミングは陸軍士官学校に進み、銀行やロイター通信のモスクワ支店長を経て、第二次世界大戦中は安全保障調整局のスパイとして活動した経歴を持ち、大英帝国に2度までも牙を剥いた敵国ドイツに恐怖と嫌悪感を抱いていたといわれる。フレミングは『Thrilling Cities』(1963年11月ジョナサン・コープ刊)の中で、ル・マンを走るルドルフ・カラツィオラの白く大きなメルセデスの音が耳障りだと記しているほどだ。
 
前述したように『ムーンレイカー』では、ベントレーはドイツを代表するメルセデスに負けるが、これ以降は、ボンドをアストンマーティンに乗せて、再び悪に向かって戦いを挑んだのである。 ロールス・ロイス傘下で大人しくなったベントレーに変わるボンドの武器には、スポーツカーメーカーとしての歴史が長いアストンマーティンが最も相応しい存在であった。

文:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Words:Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.)

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