パッと現れ、パッと姿を消した・・│グループBで活躍したフォードRS200のパワー

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グループBにおけるフォードRS200のラリー・キャリアはとても短かったが、グループB以外ではポディウムを独占した。

パッと現れて、パッと姿を消した⋯。FIAによる突然のグループB廃止宣言により、420bhpを誇ったRS200のグループBでの活躍は、1年足らずで終止符を打つことになった。だが、実に輝かしい1年でもあった。マルコム・ウィルソンは1985 年9月、リンディスファーン・ラリーでいきなり優勝を飾った。RS200は1986年には6カ国で19優勝を果たし、ほぼすべてのヨーロピアン・チャンピオンシップを手にした。フォード・ファンが熱狂したことは想像に難しくあるまい。
 
グループB廃止を決定づけたのは、第5戦のツール・ド・コルスにてランチア・デルタS4を駆るヘンリ・トイヴォネンがコ・ドライバーのセルジオ・クレストと共に死亡した事故だった。それまでスティグ・ブロンクビスト、カール・グルンデルはRS200で4戦、ファーステスト・ステージタイムを叩き出していた。戦績はスウェーデンで3位、RACで5位、アクロポリスではレースをリードしていたが、ホイール・スタッドボルトの破損により表彰台を逃すことになった。
 
RS200は氷まみれのスカンジナビア、暑さと砂まみれのスペイン、ワインディングだらけのオランダやベルギー、そしてグラベル続きの母国イギリスにてそのポテンシャルの高さを見せつけた。また、グループBで初めての参戦となったマーク・ラヴェルは、ブリティッシュ・ラリー・チャンピオンシップで優勝した。RS200 の4WDシステムはどんな路面でもレースに有利であることを見せつけた。 

プライベート勢に目を向けてみると、非ワークスカーを入手したマーク・レニソンは、イギリスのラリークロス・シーンの表彰台で常連となった。元ワークスマシンが払い下げられると、レニソンに続くべくヨーロッパ各地の顧客がこぞってRS200を購入した。
 
FIAからグループBの廃止が宣言されるまで、ボアハムではチーフエンジニアのジョン・ウィーラーによって、エボリューション・モデル(20台の市販を義務づけ)が計画されていた。車両は100㎏の軽量化が図られ、最高出力が500bhpは下らない新しいフォード・コスワース製2.1リッター BDT-E( Eはエボリューションを指す)エンジンを搭載が噂されていた。最高出力600bhpも達成できるだろうといわれていたが、プライベートたちの手によりそれ以上のパワーが引き出された。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)  Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Graham Robson

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