世界一過酷な冒険!泥まみれでサファリ・ラリーに挑んだポルシェ911SC

Porsche AG

1978年、ポルシェは初勝利を獲得するためサファリ・ラリーに挑んだ。ビヨルン・ワルデガルドとヴィック・プレストンJr.の二人のドライバーが、マルティニカラーに身をつつんだ911 SCを駆って、世界一過酷といわれる冒険に出た。しかし、その5000kmの旅は極めて厳しいものとなった。

アフリカの大地は、時にヨーロッパの常識を打ち破る。チェランガニ丘陵は、“丘”と付いているが、その標高は3000m。つまり、ドイツ最高峰のツークシュピッツェ山よりも高いことを意味する。そして、その"丘"はラリーでルートの一部に設定されているが、夜間には漆黒の闇につつまれるのだ。

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ローランド・クスマウルとユルゲン・バースは、スペアパーツを積んだチェイスカーのポルシェ911で、チェランガニ丘陵の麓を走っていた。クスマウルはサファリラリー仕様の911 SCを開発、バースはラリーのマスタープランを作成している。このプランに沿って、7台のフォルクスワーゲンバスと2台のランドローバーが、ワルデガルドとプレストンJr.がドライブする911 SCを、5000kmの全行程でサポートすることになった。



1978年、ケニアでクスマウルとバースは、地元ケニア出身のヴィック・プレストンJr.とコ・ドライバーのジョン・リヤルがドライブする911 SCを待っていた。プレストンJr.は無線で、彼らに言葉をかける。「右フロントのショックアブソーバーが壊れているんだ!」3リッター水平対向6気筒自然吸気ユニットが唸り声をあげながら、闇を切り裂きタイムコントロールで止まった。クスマウルは、当時のことを昨日のことのように覚えていた。


「ダンパーがスタックしていたため、フロントアクスル全てを取り外す必要がありました。でも、走行直後の足まわりはとてつもない高温で触れることができなかったのです。でも、ダンパー、ブレーキ、ホイールマウントを冷やす水がなかったんです。そこで、私はヴィックとジョンにクルマから20mは離れるように伝えました。20リットルのガソリンを足まわりにぶちまけて、その後で交換することになりましたよ」



ラリーは3月23日木曜日にケニアの首都ナイロビをスタートして、27日月曜日にフィニッシュ。ワルデガルドがドライブした911 SCは、3つのコンペティティブセクションを終えて、トップだった。ここでの1800kmの行程は幸運にも恵まれた。早朝通り抜けたワルデガルドは、川が増水する前に渡ることができた5台のうちの1台だったのだ。渡れなかったクルーは川の水がひくのをひたすら待つか、クルマを川に沈めるしかなかった。

しかし2度目の川渡りは、ベテランドライバーのワルデガルドにピンチをもたらす。彼が慎重に川を横切ろうとしていたところ、勢いよく流れる川にリヤを取られてしまう。そこで、少しずつアクセルを踏み込み、岸まで無事に911 SCを運び上げたのだ。

木曜日のスタートから一睡もしないまま、クルーは金曜日の正午にナイロビへと帰還。しかし翌朝には再び過酷な冒険へと挑まなければならないのだ。ポルシェ、プジョー、メルセデス・ベンツ、ダットサン、三菱のワークスチームに加えて、サファリを愛するアマチュアドライバーも戦友であるラリーカーを停め、しばしの休息を取っていたそうだ。


・・・次回へ続く

オクタン日本版編集部

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