世紀の指揮者 カラヤンが愛したポルシェ 911│10年以上の眠りから目覚めサウンドを奏でる

「楽壇の帝王」と呼ばれる世紀の指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンが愛車としていたポルシェ911 ターボ RS は、長い間姿を消していた。しかし、2017年にカラヤンが愛したコンサート・ホールの前に現れたのだ。今もなお、圧倒的な存在感を放つ1台のストーリーを紹介する。

40年が経ったある日、あの時と同じ1台のスポーツカーが再び、オーストリアのアニフにあるホテル “フリーザッハ” のエントランス・ロータリーに入ってきた。かつてヘルベルト・フォン・カラヤンが駐車していた場所に、そのポルシェは停められた。カラヤンはかつてよくリハーサル後、帰宅途中にホテルへ立ち寄り、聖壇が飾られた行きつけのパブで子牛脳のアスピックを楽しんでいたという。昔と同じ場所でこのポルシェを見て、カラヤンのお気に入りのソロ・ヴィオラ奏者であったヴィルフリート・シュトレーレは隠しきれない喜びを見せた。彼は、18年間カラヤンのオーケストラに所属していたこともありカラヤンをよく知る。



ヘルベルト・フォン・カラヤンは生前、常に圧倒的な存在感を放っていた。華奢な体つきでありながら巨大なオーラに包み込まれ、指揮の最中は集中力を保つために鋭い碧眼を閉じたまま指揮棒を振っていた。もちろん、すべてのパート総譜は頭の中に記憶されていた。そんなカラヤンは、音楽家であると同時にディレクターであり、プロデューサーであり、さらには演出家、建築家、マーケティングを行う人物でもあった。ルネサンス時代に生きた人のような風格を持つ彼は、ひとたび風変わりなオーケストラの演出を思いつけば、どんなに小さな要素であってもとことんこだわり、エネルギーを限りなく注ぎ込んでいった。シュトレーレは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で行われた動画収録のことを今でもふと思い出すという。録音は奏者たちが正確に音程を保つべく集中できるよう、プレーバックを通して行われたそうだが、演奏はマエストロであるカラヤンが納得するまで終わることはなかった。今となっては伝説的なエピソードである。

美しく繊細なサウンドを追求し、常に学びを続けたカラヤンだが、そのスタイルは舞台にとどまらず、プライベートにも見ることができた。車に関していうと、ポルシェが特にお気に入りで、356スピードスターと550A スパイダーをれぞれ1台ずつ、959を2台、他にも数台のポルシェ911を所有していたそうだ。「私たちは毎年、最新モデルが登場するたびに魅せられ、まるで子供のように大はしゃぎしたもので」とシュトレーレは振り返る。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に入った一年後に、シュトレーレは自身はじめての 911を購入しているが、カラヤン特製のターボは今日まで手の届かない夢の1台だったのだ。

カラヤンはより軽量でハイパフォーマンスの1台を求めて、当時ポルシェの社長を務めていたエルンスト・フールマンに特注した。カラヤンのターボにRSRモデルのレンシュポルトシャシーを奢り、カレラ RSのボディとレース用サスペンションを投入した。インテリアにも軽量化の工夫が凝らされ、リアベンチシートの代わりにスティール製ロールケージを装着。ドアオープナーにエレガントなレザーストラップを採用し、それを引っ張ることでロック解除できる仕組みになっていた。

大径ターボチャージャーとシャープなカムシャフトを組み込んだ6気筒ボクサーエンジンを搭載し、ラジオが奏でるシンフォニーを諦めるかわりに大音量のポルシェサウンドを堪能できるように仕上げたのである。ボディカラーも独特で、1974年のル・マン 24 時間レースで見事2位に輝いた911 カレラ RSR ターボ 2.1 のマルティニ・レーシング・デザインを採用した。この1台のためだけにポルシェはベルモットの製造会社であるロッシに意匠の特別使用許可を申請したほどだ。


173cmのカラヤンの身長に合わせたのだろうか、革製バケットシートは幅が狭い。シュトーレは憧れの1台に乗り込み、慎重にイグニッションキーを回し、エンジンが発するサウンドに耳を研ぎ澄ませた。ターボユニットが咳払いをし、力強いバリトンのビブラートを奏でると、その振動は芯を通って心臓部へと伝わってくる。シュトレーレは注意深くハンドルを切り、ベルヒテスガーデンの雄大な山々に向かって走り出した。



“ヘルベルト・フォン・カラヤン通り” と名付けられた野道を通り、かつてカラヤンがよく走っていたアルプスの山道へと向かった。ロスフェルト高原へと伸びるパノラマロードは、カラヤンが特に好んでいたルートであった。彼は規律を重んじていたため、毎日朝6時に起床し、総譜を覚え、ヨガを嗜むのが習慣だったそうだ。そして、朝焼けを見にこの911 ターボで山道を走っていた。しかし、カラヤンは距離を重ねていたわけではないようで、1980年にこの車を売却した際は3000キロしか刻まれていなかった。その後、2004年に6人目となるオーナーが購入し、相当なカラヤンファンであったのか全く動かすことなくしまい込んでいたという。それから10年以上が経ち、再びかつてカラヤンの耳を刺激していたサウンドを奏でたのだ。

オクタン日本版編集部

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