高速道路で最高速を計測した1970年代ロードテストの思い出

PHOTOGRAPH Mel Nichols

今では、公道を舞台にスーパーカーを最高速で飛ばすことなど不可能だが、40年前は違った。1965~78年にイギリス『Motor』誌のテクニカルエディターだったアンソニー・カーティスが当時を振り返る。

あの頃、最高速を計測する方法は二つあった。最高速が110mph(約180km/h)以下のモデルはMIRAのオーバルコースで計測する。しかし、コーナーがあるとどうしても速度が落ちるので、もっと速いモデルには別の場所が必要だった。すぐ思い浮かぶのは滑走路だろうが、滑走路はたいてい2マイル止まりだ。当時のモデルは、最高速付近まで加速するのに1マイル、最後の数mphを絞り出すのにさらに1マイル、そのあと計測に半マイル、ブレーキングに半マイルが必要だった。

そこで選ばれたのが高速道路だ。夏の夜明け頃なら、たいてい空っぽだった。2車線の道路で困ったのが、遠くにゆっくり走るトラックとそのすぐ後ろに小型車が見えたときだ。小型車が追越車線に出てこないことを祈りつつ踏み続けるか、それともその計測は中止するか、決断を迫られた。

1971年に大きな出来事があった。アストンマーティンはV8を搭載した新DBSの最高速を160mph(257km/h)と謳っていた。その最高速を計測するため、私たちはイタリアまで長旅をした。ところが様々な不運に見舞われて、結局、フランスのオートルートで急いで計測した155mphでよしとするしかなかった。

アストンマーティンからは軟弱者呼ばわりされたが、その後、エアインテークに問題が見つかった。アストンマーティンはそれを改良すると、完成間近の高速道路を貸し切り、私たちに再計測を求めた。計測地点までの距離を少しずつ伸ばし、タイヤの空気圧を徐々に高めて、何とか160.1mphに達した。その前に肝を冷やす場面があった。出入口を閉鎖したはずなのに、建設会社の車がこっちに向かってきたのだ。私たちは約140mph(約220km/h)に達していたが、幸い正面衝突はせずに済んだ。

ANTHONY CURTIS Technical 抄訳:木下恵

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