ゴールドに輝くアルミニウムボディの個性派ロータス 26R 前編

Photography:Paul Harmer

それはロータスをベースとする軽量なスポーツカーである。ボディは金色に輝いているが"ゴールド"ではなく、アルミニウムでできている。ユニークだがちょっと派手なロータス、それはどんな車だったのだろうか、サーキットドライブを通して全容を語ってみた。

今日、"ロータスBチーム"といったら格下の二軍のチームと解釈されてしまうかもしれないが、1960年代の初期から半ばにかけての頃は、一般的なイメージとはまるで正反対で、むしろ名誉を感じさせるものだった。そんな常識を覆したのはもちろん、コーリン・チャプマン。彼が率いる若々しくて活気に満ちたチーム・ロータスは、下位のフォーミュラカーに始まり、やがて世界の強豪を打ちのめすグランプリ・ウィナーに登り詰めたのだ。
 
彼の仕事のペースは前例がないほど速かったといっていいだろう。1952年にロータス・エンジニアリングを設立すると、それから10年も経たないうちに、ロブ・ウォーカー所有のロータス18に乗るスターリング・モスに、あの有名なモナコの勝利を味わわせてしまったのだから。そのほかにも驚くに値する話は山ほどある。1954年にロータス・エンジニアリングから分離独立ししたチーム・ロータスは、1958年までシングルシーターの製作経験がなかったにもかかわらず、急遽その年、ロータス12を作り上げ、F2に打って出たのだ。

そしてその年の終わりまでにモータースポーツ界の最高峰(いうまでもなくF1だ)に挑戦する機会を得て、以後30年にわたってトップの座に君臨、コンストラクターズ・チャンピオンシップを7回獲得したほか、6人のドライバーをワールドチャンピオンに押し上げてしまったのだ。作り出す車もすごかった。歴史に残る革新的な内容に満ちたものばかりだった。
 
いっぽうでチャプマンはビジネスにも長けていた。彼はF1という金のかかる世界に多大の金を投入しなければならなかったので、エンツォ・フェラーリが行ったのと同じように、ロータスの市販車を販売する会社も興した。ただし、設立時点で一般路上を走ることができるのはスパルタンなセブンしかなかく、より一般向けの車が求められた。その結果製作されたのがタイプ14、すなわちエリートである。この車でロータスは自動車メーカーとしての態を成した。

世界初のグラスファイバー製のモノコック、ピーター・カーワン-テイラーのデザインになるナイーブなスタイル、コヴェントリー・クライマックス・エンジンを搭載するなど、エリートは多くの話題を巻き起こしたが、悲しいかな見た目と同じくその魂はデリケートなものだった。そんなエリートだったが、ル・マンには挑戦した。当然ながら総合成績では排気量の大きなスポーツカーやGTには敵わなかったが、1962年のル・マンではデイヴィッド・ホッブスとフランク・ガードナーの手により栄誉ある熱効率指数賞で1位を獲得。翌年も好成績を収めた。そんな活躍にもかかわらず、エリートはやがて小粒な1台のスポーツカーに取って代わられることになる。タイプ26である。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:James Elliott 

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