兵庫の倉庫に眠っていたボコボコのアストンマーティン V8 │なぜ凹みが?

Euro port

兵庫県のとある倉庫に、ボコボコとボディに凹みのある1台のアストンマーティン V8が眠っていた。インテリアもエンジンも、充分にその息を吹き返す余地がある。このままにしておくのは勿体ないが、なぜ凹みが?

人の温もりこそが価値という現代。コンピュータに頼ったデザインではなく、作り手のこだわりが末端まで行き届いた意匠には愛おしささえつのる。果たして古物は骨董という枠に収まらず、さらに特別なものはアートとしてもてはやされるようになっていった。古いものがこれほどまで珍重されるようになって久しい。
 
ただし、である。こと自動車に関しては、最近までなかなかそういったヴィンテージの流れに乗ることができなかった。乗って古くなればただの中古車。さらに長く放置されてしまった車は邪魔もの扱いをされてきた。実はこの車もそんな類の一台である。
 
アストンマーティンV8。アストンマーティンの黄金期を1960年代とすれば、度重なる財政破綻でブランドの輝きを失っていったのが1970年代である。
 
1940年代後半、裕福な実業家デイヴィッド・ブラウンが新たにアストンマーティンのオーナーになり、2-Litre Sports(DB1)を世に送り出す。やがてDB2、DB4、5、6、といった流麗なスタイルでスポーツカーメーカーとしての礎を築く。1967年には英国人デザイナー、ウィリアム・タウンズが線を引いたDBSを発売するが、新しいボディデザインが定着するか否かの段階でデイヴィッド・ブラウンが会社を売却。ついに車名からDBの名が外され、次に登場したのがこのアストンマーティンV8 なのだ。このモデルは財政難の影響もあり1990 年まで20 年近くも生産が続き、総生産台数は4021台を数える。
 
さて、その一台が兵庫県明石市の、とある倉庫に27年間も眠っていた。抹消登録証明書を見る限りナンバープレートが外されたのは1999年。1988年に新車として購入したのはファインケミカル分野で大きなシェアをもつ特殊メーカーのオーナーだった。メンテナンス記録の頻度から、このV8がいかに大事にされていたかは想像に難くないが、何かの理由により倉庫の片隅で過ごす時間が徐々に長くなっていったようだ。



現在ファーストオーナーの令息はこの車を手離すことも検討しており、知人らに相談。車の状態は正にバーンファインドであるが、ちょっと様子がおもしろい。
 
内装には白緑色の乾いたカビが目に付くものの、黒い本革シートは張りも十分。おそらくクリーニングだけで美しさを取り戻すことができるだろう。エンジンも悪くない。4基のキャブレターを調整してオイル類とバッテリーを整えれば、どうやら目を覚ましてくれそうだ。
 
問題はボディである。ずっと屋内に保管されていたのでサビは皆無で塗装の艶も見事だが、ボツボツと小さな凹みがそこかしこに散見される。聞くと、これはオーナーの奥方がゴルフクラブのアイアンを使って、この倉庫で「寄せの練習」をしていた名残りだという。一時はあまり人気のなかったアストンマーティンV8とはいえ、ゴルフボールが当たることも厭わなかった淑女の肝っ玉は、想像するだけでも浮世離れしていて愉快ですらある。


 
関係者が集まって相談した結果、この車は正しく再生されることが決まった。機関系と内装は徹底的に磨き上げて新品並みのクオリティに戻す方向で一致。ただ、この凹みの目立つエクステリアに関しては「このままでもいいのでは」という意見も多かった。これは虐めのキズではない。この車なりの生きた証なのかもしれないから。

文:オクタン日本版編集部 取材協力:ユーロポート Words: Octane Japan Thanks to Europort

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