サーキットだけでない!フェラーリの活躍はラリーでも

octane UK

フェラーリの成功はサーキットだけのものではなかった。ラリーで活躍するフェラーリの姿を想像するのは難しい。さかのぼって1950 年代には、ヨーロッパ大陸で行われるラリーにアマチュアドライバーが参戦するのはごく普通のことだった。1954年のチューリップラリーでは、クルト・ツェラー/アロイス・ウィルベルガー組が、ピニン・ファリーナ・ボディの166 ベルリネッタでクラス優勝を果たしている。それから30年後には、ヨーロッパ・ラリー選手権や世界ラリー選手権で実績ある大物を相手にフェラーリで戦った人たちがいた。
 
フランスのディーラー兼チームオーナーのシャルル・ポッツィは、パドヴァのミケロット社に依頼して、最初のグループ4仕様308 GTBを造った。この車で参戦した1981年のツール・ド・コルスでは、ジャン-クロード・アンドリューが後続を2 分も引き離してトップに立っていたが、燃料ポンプの故障でリタイアに終わった。しかし、同年のツール・ド・フランス・オートモビールでは見事優勝。アンドリューはこの9年前にも、やはりポッツィの365 GTB/4コンペティツィオーネでツール・ド・フランスを制していた。
 
続く1982年には、アンドリューがツール・ド・コルスで2位フィニッシュ。これがWRC でフェラーリが記録した史上最上位となった。グループ4 仕様の308 GTBは合計11台製造されたといわれている。これを進化させたグループB仕様は4台造られ、改良型クアトロヴァルヴォーレ(4バルブ)V8エンジンを搭載していたが、初期の車より30kg重かった。
 
印象的なラリー仕様のフェラーリといえば、ブラックバーンのメカニカルエンジニア、トニー・ウォーズウィックが造った308 GTBが思い浮かぶ。それまでウォーズウィックは、ブライアン・ハートのエンジンを搭載したフォード・エスコートで出走していたが、1981年にマラネロ・コンセッショネアーズの援助を得て、1976年式308 GTBを改造した。目の覚めるようなイエローのスーパーカーは、1982 ~ 86 年にヨーロッパ・ラリー選手権でおなじみの存在となり、今も時折ヒストリックイベントに参加している。一度見たら(そしてサウンドを聞いたら)忘れられなくなる1 台だ。

Words: Richard Heseltine

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