レギュレーションの許容限度ギリギリで作られたポルシェの1台とは?

Photography:Andy Morgan



"究極"といっても今度は決して抜け道ではなく、ジンガーは技術ミーティングで同意を得ての投入だった。その内容とは、コクピットまわりだけがベース車と同じであればその前後はカット(BMWや他のフロントエンジン車は排気管取り出し口として利用)してもよいというもので、その規定に沿ってモビーディックはモノコックをセンター部分だけとし、前後はボディ架装用のスペースフレームとした。

これによってボディは低くも長くもできるわけで、ル・マンを走る上で思いどおりの形状に仕立てることが可能となった。モビーディックは予定どおりスパ1000㎞で初勝利を収め、ル・マンには950bpsエンジンを積んでミュルザンヌ・ストレートで227mph(約365㎞/h)という信じがたいトップスピードを現実のものとした。前年型935/77と比べるとラップあたり9秒も速かった。しかしながら燃料消費も膨大なもので、35分おきにピットに入って給油しなければならず、またレース終了間際にオイル漏れが発覚して結局8位に終わった。ル・マンでの935による完璧な勝利は翌79年に達成される。しかし、これはファクトリーからのエントリーではなく、クレマーが開発したK3バージョンで参加したクラウス・ルードヴィッヒとふたりのアメリカ人、ビルとドンのウィッティングトン兄弟によるものだった。


 
ヨーロッパとアメリカにおける935の成功は、1982年末でグループ5による選手権が終わるまで続いた。935の暴力的とでもいえるような、すさまじい動力性能に対抗できるライバルは結局そのあとも出ないままだったからである。デレック・ベルはそんな向かうところ敵なしの935に脱帽するかのようにこう言った。

「パワーの大きさはもちろんのこと、それがモリモリと力みなぎる過程はその車のキャラクターを作り上げる重要な要素だけれど、935がなぜ現代のLMPカーより運転して楽しいかという問いには、それで説明できるんじゃないかな。ドライバーにとってこういう車に乗るということは究極のチャレンジであって、もし乗れるチャンスがあるのだったら、それはレースに勝つまたとないチャンスを手に入れたということなんだよ。935は期待を裏切らない車だからね。実際、レースが終わったあとエンジンベイを見ても、オイルの跡などひとつもなかったからね」
 
ポルシェは常にルールを限界まで追求するが、それをモノにする方法も知っているのも、また間違いのないところである。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Roger Green 

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