砂漠を制覇したポルシェ ダカール959を公道で運転する!?

Photography:Malcolm Griffiths & McKlein


 
959のダカール初挑戦に向けた土台作りは、1984年に始まった。果たしてジャッキー・イクス率いるチームは、車高を上げた911のような車両で優勝を飾る。タイプ953と呼ばれたこの車は、自然吸気3.2リッターのフラット6で、ごく標準的な227bhpだったが、四輪駆動と多くの複合素材パネルを採用していた。
 
対してこの959は、トレッドが広がり、400bhpのツインターボエンジンを搭載していたから、その翌年に大差で勝利してもおかしくなかった。ところが、ダカールに向けたウォームアップとして2台が参加した短めのファラオラリーで、1台は優勝したが、2台目はエンジンから火を噴いてしまったのだ。そのためポルシェは安全を取って、ダカールには、953から引き継いだノンターボエンジンに戻して参戦した。
 
それでも3台の959には優勝の可能性があった。しかし、チームに次々とトラブルが降りかかる。ヨッヘン・マスの車両は、アクシデントで早々に止まり、イクスは高速で岩にぶつかって同様にリタイアした。残ったのがこの車、メッジ/ルモイヌ組のカーナンバー186だった。しかし、中間地点あたりで、やはりリタイアしてしまう。オイルラインの破損でエンジンが壊れたためだった。こうして、この959のレースキャリアは幕を閉じた。
 
1986年のダカールに向けて、新たに3台の959が製造される。今度は400bhpのターボエンジンに、マニュアル・デフロックと電子制御のビスカスカップリングを併用する、より進化した四輪駆動システムが搭載された。ビスカスカップリングによって、駆動力の配分をコクピットで調整でき、従ってハンドリング特性も変更できた。このシステムは、のちに市販車でも採用されている。3台のポルシェは、1位、2位、6位でフィニッシュした。6位の車のドライバーはポルシェのローランド・クスマウルで、サービスカー3台のうち2台が失われたあとは、メッジとイクスのサポート役に徹したのだった。
 
この959は、7年ほど前に個人オーナーの手に渡ると、まっすぐフランシス・タティル氏の作業場に届けられた。「まだ車内に砂が残っていた」とリチャード・タティルは話す。新しいオーナーは、時折この車を公道で使いたいと考えていたため、簡単に元に戻せるモディファイが加えられた。例えば今は、小さい燃料タンクがボンネット下の一般的な場所に取り付けられている。元々は、ダカールの途方もなく長いステージを走り切るための巨大なタンクが、通常は後部座席のある位置に置かれていたのだ。


 
エンジンも変更されている。車に付属していたフラット6がオリジナルかどうかは疑わしいが、元のエンジンは別に保管されており、今はもう少し陽気な350bhpの3.5リッターエンジンに換装されている。エアファンネルが素晴らしい音を奏でるが、ダカールの砂漠だったら、エンジンがすぐに息絶えただろう。だが、マーチ伯爵主催のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで、歴史的なラリーカーのために設けられたフォレストステージなら、砂の心配はそれほどいらない。実際のところ、イクスはそこでこの車を何度か走らせている。
 
コ・ドライバー側のロールケージには、センターロックアロイ用に柄の長いレンチが付いており、ドライバー側には、付属のロングストロークジャッキを取り付ける金具がついている。ただし今日に限っては、ジャッキがなくても959のフロア下を見られる。というのも、車は今、バンブリーの車検場で、つり上げられた状態だからだ。おかげで、試験官が仕事に取り掛かる際に、フロア全体を覆う厚さ10㎜の複合素材でできたアンダートレイと、ツインダンパーユニットを見ることができた。

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation:Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:John Barker 

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