強烈なスタイリングのモンスター│モータースポーツヒストリーに名を残すマシン

Photographs:Porsche Museum


 
1970年シーズン、ポルシェはワークスとしてのレース活動は行わず、マシンの開発に専念することを決めた。そして、実際のレース活動はイギリスの名チーム監督、ジョン・ワイアが率い、石油会社のガルフがスポンサーについたJWオートモーティブ・エンジニアリングと、ポルシェ家と姻戚関係にあるオーストリアのピエヒ家が設立したポルシェ・ザルツブルグの2チームに委ねることにした。
 
一方、917にも大幅な改良が加えられた。空気抵抗は増えるもののダウンフォースを稼げるウェッジシェイプを採用した新たなショートテール仕様(ショートテールを意味するKurzheckから917Kと称された)が開発され、これがチャンピオンシップにおいて標準的に用いられた。
 
といっても、ロングテール仕様も放棄されたわけではなかった。ワークスはル・マンには空気抵抗の小さいロングテールが是非とも必要と考え、70年の24時間レースに向けてこの仕様の改良を推し進めた。こうして開発されたのが、フランス人の空力専門家、ロベルト・ショーレがスタイリングを手がけた917LH(ロングテールを意味するLangheckが由来)であった。これは魅力的な外観を保ったまま、69年の仕様よりも安定した挙動を示した。なお、エンジンについては、ル・マンの頃には4.9リッターまで排気量を上げた仕様も使用可能となっていたが、ル・マンでは24時間という長丁場を考慮して、大部分のマシンは耐久性が証明済みの4.5リッター仕様を用いた。
 
70年のル・マンは24時間を通して雨がほぼ絶え間なく降り続き、すべての出場車にとって極めて厄介なレースとなった。その困難さは、完走したのがわずか7台という結果が証明している。それでも、ポルシェ・ザルツブルグから出場したハンス・ヘルマンとリチャード・アトウッドのコンビの917Kが見事このレースを制し、ポルシェに待望のル・マン初勝利をもたらして、その歴史を塗り替えた。しかも、2位にもサイケデリックなカラーリングに塗られた917LHが続いていたのである。
 
ル・マンで通算5勝を挙げている名ドライバー、デレック・ベルが、ポルシェとの長きにわたる関係をスタートさせたのは、1971年シーズンにジョン・ワイア・チームの917のシートを獲得した時からだった。彼がそのチャンスをモノにすることができたのは、高速走行時における917の獰猛ともいえるマシーンの性格を彼が受け入れたことによるものだった。彼はこのように語っている。

「ワイアのチームに新たに加わるドライバーのテストは、私にとってホームコースともいえたイギリス南部のグッドウッドで行われた。このテストには私のほか、ロニー・ペテルソンとピーター・ゲシンの2人も参加していた。結局のところ私がシートを射止めたわけだが、それはドライビングの才能の差によるものだと、私はその後ずっと信じ続けてきた。ところが、最近になってゲシンと話をする機会があり、その考えがまったく間違っていたことを知った。917の予測しがたい挙動に対して、ゲシンとペテルソンは2人とも恐怖を感じ、怖気づいてしまったというのだ」

「当時の917には開発の余地がまだ多くあった。しかし、70年シーズンにフェラーリで917のライバルであった512Sを走らせた私の経験からすれば、もっとドライバーに優しく、そしてもっと楽に勝てるくらいまで改良を加えることが可能だと感じた。こうして熟成を進めた結果、917のハンドリングは完璧なものとなり、ドライバーにとってそれは素晴らしい体験であった。ブレーキも非常に強力だったし、いうまでもなくエンジンは素晴らしかった。ただ、理想的とはいえない点もまだあったが、私は文句をいわなかった。だって、F1のドライバーたちが私のシートを虎視眈々と狙っていたからね」

編集翻訳:檜垣和夫 Transcreation:Kazuo HIGAKI Words:Roger Green 

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