強烈なスタイリングのモンスター│モータースポーツヒストリーに名を残すマシン

Photographs:Porsche Museum



917の最初の出番は、残念ながら栄光に彩られたものではなかった。まず登場したロングテール仕様は、ボディの上面で大きなリフトが発生したため不安定で、非常に操縦しにくかった。デビューレースとなった69年のスパ100㎞では、ワークスのナンバーワン・コンビ、ジョー・シフェールとブライアン・レッドマンがその乗りにくさに困惑し、908に乗ることを選んだほどだった。結局ゲルハルト・ミッターとウド・シュッツの2人が記念すべき917のレースデビューの大役を担うことになったが、わずか1周しただけで、ギアボックスを壊してリタイアに追い込まれた。
 
ポルシェは25台製作した917をプライベート・ドライバーに売り込むために宣伝が必要だったこともあり、スパの3週間後のニュルブルクリング1000㎞にも917を1台送り込んだが、状況はスパの時とほとんど変わりがなかった。このレースではデイヴィド・パイパーとフランク・ガードナーの2人がショートテール仕様の917のステアリングを握ったが、見どころのない展開の末に、8位でフィニッシュという結果にとどまった。
 


といっても、コクピットの中でドライバーたちが退屈していたかというと、そうではなかった。パイパーに話を聞いたところ、あのレースにおける917はまるで牛が尾っぽを降るように予測できない挙動を示し、ドライバーを簡単に死にいたらしめかねない凶器だったと回想している。それは非常に操縦しにくく、彼らが確実に完走を果たすためには、すべてのコーナーにおいて、予想外の事態に備えてかなりの余裕を残しておかなければならなかった。
 
ニュルブルクリングの次はいよいよル・マン24時間だったが、このレースにおいてもドライバーにとって状況はいっこうに改善しなかった。その予選では、917が前年より12秒も速い驚異的なタイムを叩き出し、あっさりポールポジションを決めたばかりか、ル・マンの最大の特徴であるミュルザンヌの長い直線では他の出場車より50km/h近くも速い最高速を記録したにもかかわらずである。
 
その驚異的なポールタイムをマークしたロルフ・シュトメレンのように917を操るためには、無謀ともいえる勇気を必要とした。つまり危険と隣り合わせだったのである。このレースには917を最初に購入したプライベート・ドライバーのジョン・ウルフも出場していた。ウルフはレース前、917を怖いマシーンと語っていたが、その恐れはレースの1周目で早くも現実のものとなり、これ以上ない犠牲をともなう結果となった。彼のマシンはホワイトハウス・コーナーでコースアウト、クラッシュして炎に包まれ、哀れなウルフは死に至ったのである。
 
このレースにはワークスも2台の917を送り込んでいた。1台は3時間走っただけでギアボックスのトラブルにより姿を消したが、もう1台の方は大方の予想を裏切ってその後も快走を続け、首位の座をずっとキープしていた。そして残り4時間という時点まで2位以下に4周の大差をつけていたが、ここでやはりギアボックスのトラブルに見舞われ、彼らもリタイアに追い込まれた。

編集翻訳:檜垣和夫 Transcreation:Kazuo HIGAKI Words:Roger Green 

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