知られざる50年以上前に誕生したある1台の4WD│DB時代の計画

Images: Stuart Gibbard Archives/David Brown Tractor Club

DBXは革新的ともいえる新種のアストンマーティンだ。だが、デイヴィッド・ブラウンの時代にも四輪駆動車の計画が存在したことはあまり知られていない。これはその全貌である。

"シナジー"という言葉は、現在では使われすぎて陳腐化しているといえよう。また、アストンマーティンを率いていた頃のサー・デイヴィッド・ブラウンの語彙にはなかったと思われる。だが、その言葉こそ、彼の先見性がデイヴィッド・ブラウン(DB)コーポレーションへ期待したものを的確に表していた。

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デイヴィッド・ブラウンの祖父の代から続く、DBコーポレーションを構成していた会社群は多様で、一見するとそれぞれに繋がりはないようにみえた。1921年当時、主力は世界最大だったウォームギア工場であり、そのためにサウスヨークシャーのペニストーンに鋳造所、ウエストヨークシャーのハダーズフィールドに本社を置いていた。

また、後年になってファーガソン社との協業として立ち上げたトラクタービジネスのために、本社の南西、約8kmのメルサムにトラクター部門と、1960年までは別個だったアストンマーティンとラゴンダを置いていた。さらに、後に造船業、電子レンジのベンチャー会社、世界中のモーターショーでアストンマーティンを引き立てるモデルたちを派遣するモデルエージェントまで保有するという、一大コングロマリットであった。

 
1968年にナイトの称号を得てサー・デイヴィッドとなるデイヴィッド・ブラウンは、大半の企業で会長あるいは社長の座にあった。それらは単なる名目上の地位ではなく、執行役員として組織の様々な経営に積極的に関与し、グループ全体のために各部門間の連携協力を説いた。特にアストンマーティンとデイヴィッド・ブラウン・トラクターズ(DBT、実質上はアストンの親会社)の関係についての方針は明快だった。会長としては、アストンマーティンが単に会長の趣味としてDBTの"すねをかじる"放蕩息子以上の存在であるよう願い、自動車製造部門に対して、資金面だけでなくエンジン生産と組み立てをDBTが監督した。
 
グループをあげての協業プロジェクトとして最も興味深いもののひとつは、デイヴィッド・ブラウンの名を冠した実用モデル、またはラゴンダ・ブランドの高級オフローダーとして販売できる四輪駆動車の極秘開発計画だった。公職守秘法のもとで活動する軍需産業であるDBコーポレーションは、この計画を秘密裏に進める方法を熟知していた。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA( Ursus Page Makers) Words:Stuart Gibbard

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