小さな小屋でスタートした?│ポルシェの波乱万丈な歴史

archives: Porsche AG



356の売り上げは好調に推移し、その間に手堅い車からパワフルなスポーツカーへと成長、1962年にはDOHCエンジンを搭載したカレラ2では140bhpの強力なパワーを誇った。だが、ライバルも手をこまねいてはいなかった。1961年にジャガー・Eタイプが発表されると、自動車業界は沸き立ち、356は古さを感じさせるようになっていた。ポルシェには、スポーツカーメーカーとしての存在を誇示するために、もっと注目を集める速い車が必要だった。それが1963年のフランクフルトモーターショーで発表された901であった。ハンス・メツガーが設計した2リッター水平対向6気筒エンジンをリアに搭載し、フェリーの息子、フェルディナンド・アレクサンダー"ブッツィー"ポルシェがデザインした、新時代のポルシェで、旧態化した356の市場を引き継ぐモデルとして大きな話題となった。しかし、プジョーが真ん中にゼロの入った三桁数字を商標登録していると訴えたため、ポルシェはゼロを"1" に変え、発売した。
 
重くなったエンジンをリアオーバーハングに搭載したことで、初期のモデルはドライブする者にとってやっかいなものだった。スピンしないようにする解決策が、フロントバンパーの両サイドに取り付けた鋳鉄製の重りだ。荒っぽい方法だが有効であった。

モータースポーツは、ポルシェの戦略の中核であり続けた。1960年代後半から1970年代前半にかけて、ポルシェは耐久レースで次々と勝利を挙げる。904、906、910、907、908はタルガ・フローリオ、デイトナ24時間、ニュルブルクリンク1000kmレースで優勝し、新しい917は1970年と1971年にル・マンで総合優勝を果たした。
 
911はラリーでも活躍。1968年から1970年まで、モンテカルロラリーで3連覇を飾っている。
 
1969年に最初の"買いやすいポルシェ" として登場したミドエンジンの914は、意欲的な前後シンメトリーのスタイルであったが、市場にあまり良い印象を残せなかったようだ。


 
1972年に登場した911カレラRSは、軽量化を施したボディに210bhpを発揮するエンジンを搭載した911第一世代の究極形であった。ホモロゲーション取得に必要な500台の2倍の数を完売し、今日に至るまで、最も敬愛されているポルシェの1台である。
 
911第二世代には、米国の安全基準を満たすために大きなバンパーが装着され、デビュー以来911の人気を支えてきた優美なスタイルを変えることになった。
 
1974年、石油危機が世界を襲うなか、ポルシェは260bhpの911ターボ(930)を発表する。ターボチャージャーを備えた初の量産スポーツカーだった。それまでに911特有の急なオーバーステア傾向は安全なレベルにまで抑えられていたが、このモデルでそれがよみがえった。巨大なKKK製ターボチャージャーをコーナリング中に起動しようものなら、ドライバーにスリルを体験させることになった。ポルシェは、ターボチャージャー付きエンジンの経験を積んだことで、そのエキスパートとして急速に認められていった。
 
1980年代中頃には、TAGからの依頼でF1用ユニットを設計・製作。911エンジン生みの親であるハンス・メツガーがデザインしたTAGターボエンジンは、わずか1.5リッターで最高出力960bhpを生み出し、3回のワールドチャンピオン獲得に貢献した。

常に革新を続けてきたポルシェは、1975年に自動車メーカーとして初めてスチールボディ両面に亜鉛メッキを施した。また、初のフロントエンジン車924を発売している。もうひとつのフロントエンジン車である928は、当初1977年に911の後継車として登場した。だが、コンセプトはまったく異なるものだった。928は4.4リッターアルミニウム製V8エンジンを備え、スピードの出るグランドツアラーだった。結局、911と並んで1995年まで生産されることになる。
 

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Ben Field

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