「最高の一台」と評される戦前アストンマーティンのワークスカーに試乗

Photography:Matthew Howell

戦前のアストンマーティンを代表するスポーツカーがアルスターだ。その名をTTレースの開催地から取ったのは、戦いの舞台で鍛えられ、進化したモデルだからである。中でも最高の一台と評されるワークスカーに試乗した。

アストンマーティンは、2010年と2011年に英国で「最もクールなブランド」に選ばれた。iPhoneやアップル、YouTubeを抑えての1位である。確かに、現在のアストンはスマートで魅惑的なスポーツカーを生み出すメーカーだが、その黎明期はもっと泥臭く、油にまみれたものだった。

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アストンマーティンの創業は1913年。ライオネル・マーテ
ィンとロバート・バムフォードが、ロンドンのヘニカー・ミューズで製造したのが最初の車だ。その後、近郊のアビンドン・ロードに移転し、富裕層向けにスポーツカーやレーシングカーを生産したが、資金はいつも不足し、自転車操業だった。1924年にはわずかな資金も底をつき、1926年に再び行き詰まると、ビル・レンウィックとアウグストゥス・"バート"・ベルテッリが経営権を握った。
 
ここから1937年まで、輝かしいベルテッリ時代が続く。こ
の間のモデルには、1.5リッターのTタイプ、インターナショナル、ル・マン、MkⅡ、そしてレーシングカーから派生したアルスターと、2リッターのスピードモデルがある。ベルテッリは、優れたエンジニア兼デザイナーだったが、経営の才覚は今ひとつだった。会社は再び資金難に陥り、1932年に経営権は造船会社を所有する、サー・アーサー・サザーランドに移った。だが、これ以降もベルテッリの車は活躍を続ける。
 
アストンは1931年ル・マンでクラス優勝と総合5位という
好成績を収めた。これにより、ファーストシリーズ・インターナショナルのコンペティション・バージョンである「ル・マン」が誕生。1932年のル・マンでも総合5位と7位を獲得し、2年連続で争われる、ラッジ-ホイットワース・ビエンナーレカップに輝く。
 
1934年にはMkⅡを発表。大幅に軽量化を施してル・マン
に参戦したが、ワークスチームは全車リタイアに終わった。ベルテッリは妻の助言で験を担ぎ、カラーリングをそれまでのブリティッシュグリーンからダークレッドに変える。これで北アイルランドのアーズ半島に位置するアルスターで行われたRACツーリング・トロフィー(TTレース)に参戦したところ、3台がクラス1位、2位、3位でフィニッシュを飾り、チーム優勝に輝いた。この成功を記念して、アルスターの名を冠したカスタマーバージョンが、1カ月後にアールズコートのモーターショーで披露された。750ポンドと非常に高額だったが、ベルテッリはのちに、「アルスターこそ自分の最高傑作だ」と語っている。1935年には、LM20がル・マンで総合3位という快挙を成し遂げた。


 
LMとは、戦前のアストンマーティンが"ワークスチームカ
ー"に付けたシャシーナンバーで、1 から23 まで存在する。LM1~LM10はインターナショナルのシャシーをベースにしたモデルだ。アルスターは1934年のLM11に始まり、1935年のLM21(LM13は縁起が悪いとして飛ばされた)まである。今回紹介する車はLM19だ。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Robert Coucher 

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