ベルギー国王のために造られた特別なアストンマーティンが捨てられていた?

Photography:Tim Wallace/Aston Workshop



ボードゥアン1世は、1993年に崩御するまで42年間にわたって君主を務め、その在位期間は当時ヨーロッパで最長となった。国民からも敬愛され、葬儀ではダニエルス枢機卿が次のような弔辞を述べている。「王以上の役割を果たす王もいる。人々を導く羊飼いの役割だ。ボードゥアン国王はそんな王だった」

カロッツェリア・ヴィニャーレは、1960年代に苦境に陥った。そして1969年に、スーパーカーのパンテーラを製造する施設を探していたアレハンドロ・デ・トマゾの手に渡る。この売買契約に自ら署名したその日に、アルフレード・ヴィニャーレはファクトリーの近くで自動車事故を起こし、56歳でこの世を去った。



ヴィニャーレの名は、その後フォードが買い取り、当時フォード傘下にあったアストンマーティンのコンセプトカー、ラゴンダ・ヴィニャーレとして1993年によみがえった。さらに2013年9月、フォードはヴィニャーレを新たな高級サブブランドの名称にすると発表した。こうして今ではモンデオやS-マックスにヴィニャーレ仕様が存在する。ただ、かつてのヴィニャーレ250GTやDB2/4と比べると、ずいぶんとかけ離れた印象だ(グリルの形状だけはアストンによく似ているが…)。

DB2/4以外にも、ヴィニャーレボディのアストンマーティンが1台だけ存在した。1953年のDB3をベースとしたレーシングカーだ。しかしクラッシュしてしまい、ボディはフェラーリのシャシーに移された。もう1台のDB2/4はとうの昔に失われたと考えられているので、このLML/802は現存する唯一のヴィニャーレ・アストンということになる。

「アストンとヴィニャーレの両方にとって非常に重要な意味を持つ、コレクションとしての価値が高いユニークなアストンです」とディキンソンは胸を張る。その価格は200万ポンド以上だ。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Peter Tomalin 

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