ドイツで最も有名な両親の隠し子?│ポルシェ 914 6気筒のパワーを探る

Photography:Andy Morgan



914 シャシーの弱点は、リア・スウィングアームのピックアップポイント周辺がハードコーナリング時に撓むことだった。レース部門はジャッキアップポイントからリアホイールアーチにおよぶ部分に追加のプレートを溶接して補強、またロードカーには必要なしと思われていたスタビライザーも追加した。リアスタビライザーはラゲッジルームの中を通っており、フロントの荷室は長距離用燃料タンクとオイルクーラーで占められていた。

これらの改造で増加した重量を相殺するために、ポルシェはいつものように隅々まで目を配って軽量化した。前後バンパーとボンネット、エンジンフードをFRP製とし、そのエンジンフードにはたわみを抑えるためにバルサ材が接着されている。ラリーカー以外はポップアップ式ヘッドライトとモーターも省かれ、内装も簡略化された結果、車重は市販モデルより90㎏軽い897㎏に抑えられた。

911シリーズは1970年から排気量が2.2リッターに拡大されたが、914/ 6は2リッター以下のカテゴリーにホモロゲートされることになった。エンジンはタイプ901/20、定評のある911のレース用ユニットでカレラ6に積まれていたものと同じだ。高められた圧縮比とツインプラグヘッド、大径バルブ、フルカウンタークランク、軽量バルブトレーンなどの特徴を持ち、少なくとも210bhpを発揮した。

914/6GTのレースキャリアは初めから華々しいものだった。4台がニュルブルクリンク1000㎞に出場し、そのすべてが1台の911に続いてクラス2位から5位を占めるという好成績を得たが、次戦はさらに素晴らしかった。1970年ル・マンにフランスのインポーターであるソノートが出場させた1台の914/6GTは、すべての911を凌いでGTカテゴリーを制し、総合でも6位に入賞したのである。

この年
は偶然にもポルシェが917で初めてル・マンで総合優勝した記念すべきもので、スティーブ・マックイーンの映画の舞台にもなった。さらに同年ポルシェは3台から成るファクトリーチームをマラトン・デラ・ルートに派遣した。これはニュルブルクリンク・フルコースを86時間にわたって走る過酷なイベントでだが、ここでも914/6GTは2ℓGTの最強の1台となり、サーキットで文字通り無敵を誇った。



ポルシェのレーシング部門は結局ファクトリー用に12台を作り、さらに47台をM471オプションとして製作した。カスタマーは自分たちの用途に合わせたスペックでGTを注文、もし望むならばロードバージョンとすることも可能だった。その最初の1台を手に入れたのがスイスのビジネスマンでエンスージアストだったエルンスト・ザイラーだ。彼の車はシャシーナンバー"9140430181"、ここに取り上げた車がそれである。ザイラーは911T/Rで1968~69年シーズンを戦った後、1970年に914/6GTにスイッチ、当時はスキー・ハート・レーシング、その後1972年にはスクアドラ・タルタルーガ(チーム・タートル)のチーム名でレースに参加したという。

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Delwyn Mallett

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