半世紀をポルシェ356と生きてきた男のストーリー

Delwyn Mallett

オクタンの寄稿者であるデルウィン・マレットは、1969年からポルシェ356スピードスターに乗り続けている。彼は当時、これを300ポンド(当時の貨幣価値で約60万円)で購入したという。

私が初めてポルシェ・スピードスターを購入した1969年には、たくさんの事が起きた。人類は月に到達し、上流階級はウッドストックに向かい、ボーイング747ジャンボジェットが処女飛行した。

そして、私は1969年に手に入れたスピードスターをまだ所有している。それから数年後には2台目のポルシェ・スピードスターも加わった。

アートスクールでグラフィックデザインを4年間学んだ私は、モダニズムと1930年台の流線型に傾倒していった。そのころ私が虜になった映画に『Shell History of Motor Sport』があった。メルセデスとアウトウニオンの壮大な争いを記録したエピソード集"Battle of the Titans(巨人達の戦い)" には感銘を受けた。

アウトウニオンに憧れた私がポルシェ356に惹かれて行くのは当然のことであった。1967年に偶然手にしたアメリカの雑誌『Car and Driver』誌に掲載された"バスタブとの情事"という記事で、ゴージャスなブラックの、少々派手に決めたスピードスターを見た。この憧れには抵抗できず、どうしても欲しくなった。

当時、ポルシェはまだ一般的ではなく、英国では右ハンドルの356が10年で1000台にも満たない台数しか売れていなかった。私の住まいはアイルワース(西ロンドン)の著名な輸入車ディーラーのA・フレーザーナッシュ(AFN)の近くだったので、普通の人よりもポルシェを見る機会は多かったが、それでもスピードスターを見ることはなかった(AFNはそれをたった4台しか販売していなかった)。

その直後、『Exchange & Mart(E&M)』誌に、『Car and Driver』誌に掲載された車と瓜二つのスピードスターの売り物が載った。だが左ハンドルなので見送り、次の週には右ハンドル車が掲載されたが、これは遠隔地なので断念。数週間後に3台目の売り物に巡り会ったが、これも左ハンドルなのでパスした。



だが、それ以降、E&M誌にも
市場にもスピードスターは2度と現れなくなり、私はどうやらそれがかなりレアだったかもしれないと気づいた。選り好みしなければよかったが、もはや後の祭りで、ポルシェが欲しくてたまらなかった私は356Aクーペに屈した。だが、私の高揚感は家までドライブして帰る頃にはもう消えていた。

そしてすぐに壊れた。不運は最悪のタイミングでやって来るもので、私がクーペの所有者になったその瞬間、別のスピードスターが売りに出た。余分な金がなかった私は、親友にそれを買うよう説得し、彼がいつか売る時には、彼が買った値段で私が引き取るという約束をした。我々の時代は、珍しいモデルでも錆びた車の価格は上昇せずに下落していたから、これはいい取引になった。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:東屋 彦丸 Translation: Hicomaru AZUMAYA  Words: Delwyn Mallett

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