アストンマーティンに革命をもたらした人物が語ることとは

Octane UK

アストンマーティンを現在の企業に変えた立役者をあげるならば、それは故デイヴィッド・ブラウン卿だろう。ポール・チュデキが1985年に彼を取材している。

長い年月の中でアストンマーティンは数人のオーナーの手を渡ってきており、全員が現在の世界トップクラスのスポーツカーメーカーとしての地位を作るのに貢献してきた。中でも、戦後、アストンマーティンの名を広め、四半世紀に渡って正しい方向へと舵取りをしてきたデイヴィッド・ブラウン卿が最も貢献した人物だといえよう。私は、彼がまだ現役だった81才の時(亡くなったのは1993年)に取材する機会に恵まれた。1985年7月4日、モンテカルロの自宅からロンドンのデイヴィッド・ブラウン・ホールディングスの事務所までのフライトの間だ。

1947年2月にブラウン卿がアストンマーティンを「趣味として」購入したが、プロトタイプを試乗してその考えが変わった、という広告がザ・タイムズ誌に出た直後だった。

「ゴードン・サザーランドとクロード・ヒルが
アトムのプロトタイプを私の住むヨークシャーまで持ってきてくれました。グリップ力は素晴らしかったが、正直パワー不足だと思いました」と当時のことを彼は語った。この数カ月後、新しい6気筒エンジンに感心し、破産したラゴンダを購入する(工場除く)。この両社をアストンマーティンラゴンダとしてミドルセックスのハンワースエアパークに立ち上げたのだ。

その翌年、4気筒DB1のシャシーを短くした2リッター・スポーツがスパ24時間で優勝した。デイヴィッド・ブラウン卿の元で、幸先良いスタートを切った初レースだった。スパでの勝利の後、1949年に(初期は4気筒の)DB2が続いた。「ラゴンダエンジンを手にしてすぐDB2を思い描きました。パフォーマンスは一気に改善しました」とブラウン卿は語った。

レースと売上の関係について、当時どのように考えていたのだろうか? 特に、ル・マンに関する報道はかなり多かった。「売上だけでなく、車そのものの改良にも大きく貢献しました。それが重要だったと考えています。レースで露出
が増えますが、同時にスーパースポーツカーであることも紹介してくれるのです」

アストンがル・マンに出場していた頃は、フランスの本部からル・マンまでブラウン卿自ら車両を運転していた。「それ以外に私がやっていたことは、完走した車があれば、その1番速かった車を私がサーキットから直接本部まで運転しました。最初の頃は、機能するギアがひとつしか残っていなかったり、ステアリングが片方に引っ張られたり、ブレーキが殆ど効かないような状態のものばかりでした。それが1959年には、新車に乗っているかのような状態にまでなったのです。もう24時間、問題なく走れたでしょう。それが、レースの効果です。通常のロードテストでは、このような改良は見込めなかったでしょう。」

レースシーンで成功を収めていた1950年代には、DBアストンは最高で最も早いスポーツカーだった。彼は当時どう思っていたのか?「その事と、高品質な製品を生み出せる事を証明したのがとても気分が良かったです」

「F1にもチャレンジしましたが、個人的には
もう少し大胆にミドエンジンを追求したらよかったと思います」それは後悔しているのか、ホッとしたのか?「25年たった今は、もう十分ですよ」とブラウン卿は認めた。「1959年に公式にレースからは退き、それ以降は気持ち半分でした」とプロジェクト212、214、そして215について触れ「以前ほど情熱を注ぐこともありませんでした」と言う。

彼の時代にフォードからの買収提案があったのか尋ねた。「フォードからは、プロトタイプの作成と、エンジンなど彼らの部品を使ってスポーツカーの組み立てを打診された事はありました。実現していたら、良い結果を生んでいたかもしれません」

キャロル・シェルビーはアストンマーティンとアメリカンV8を組み合わせてみたらどうかと提案があったという。アストンでは実現しなかったが、それがACコブラの発想の元となった。

「アメリカの大きなエンジンを入れることについては、コストも下がるし何度も検討を重ねまし
た。しかし、議論となるのが、アストンマーティンではなくなってしまうよね、という部分でした」

1972年、ブラウン卿はヴォスパー・ソーニクロフトの造船業への責任から、アストンマーティンを売却した。25 年もアストンマーティンのために費やしたこともあり、後悔もあっただろう。「それは事実です。私が地位を確立したようなところもありますので」ただ、去ることについては「十分楽しませてもらったので」後ろめたさはなかったともいう。

十数年後経った今、彼はアストンマーティンについてどう思っているのか?「ヴィクター・ガントレットはとても良いと思いますよ。大変なエンスージアストですし、知識も豊富で立派に仕事をしています。製品に関しても大変良いと思います。基本的には当時と同じだと思います。いずれ、まったく異なる新しいモノが必要になり、それに全てをかける時が来るとは思いますが」と語った。

このインタビュー時、ジャガー提供のエンジンでのアストンマーティンという話もあった。これについての考えを聞いた。「 正直、それはあまり良い判断とは思えません。価格を思いっきり下げて、ある程度の台数を販売するのであれば良いかもしれませんが。ただ、高価格で特別な車のままでいるならば、他社のエンジンを入れる隙はないと思います。アストンでは作業員一人がエンジンを最初から最後まで組み立て、署名します。責任感も出て、とても良いことです。何年も前に私が始めたことですが、今でも続けられています」

編集翻訳:オクタン日本版編集部 Transcreation:Octane Japan 原文翻訳:数賀山 まり Translation:Mari SUGAYAMA Words:Paul Chudecki

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