カーデザイン界の問題児3人が作り上げた3台の問題作

Photography:Max Serra Estratti



販売を困難にしていたのは価格だけではない。1970年代初頭に、カロッツェリアがストラダーレのローリングシャシーを使って未来的なスクウェアシェイプのショーカーを発表したのだ。ミウラに代表される丸みを帯びた1960年代のデザインは、カウンタックに代表されるエッジの効いた1970年代のデザインに取って代わられようとしていた。33ストラダーレのデザインはただでさえ時代遅れになりつつあった。

さらに、それをベースにしたショーカーの製作をアルファ自
らがカロッツェリアに依頼して追い打ちをかけたのである。これによって、標準の33ストラダーレが売れる可能性はゼロに等しくなってしまった。

その背景をマルラッキに聞いた。「当代随一のイタリアのコーチビルダー3社にローリングシャシーを与えるというアイデアが、どんな経緯で出てきたのかは分かっていない。とはいえ、ローリングシャシーの提供を除いて、アルファロメオが何かを支払った可能性は極めて低いだろう。アルファの経営陣は、最初から3台を提供することにしていたのか、それとも1台目の成功を目にして他の2社にも機会を与えることにしたのか、それも定かではない。あるいは、他のコーチビルダーから要請があったのかもしれない」

33ストラダーレをベースにした3台のショーカーのうち、最初の1台は1968年10月にパリ・サロンで発表された。それがカラボである。シャシーナンバーは105.33.750.33109で、カロッツェリア・ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニの作品だ。カラボ・ベルトーネこそ、この時代のカーデザインの革命を象徴する1台である。あらゆる面で常識を覆していたが、盛り込まれたアイデアはすべて数年のうちに市販車に採用された。ガンディーニ作品の中でも傑作のひとつといえる。その影響はすぐにプロトタイプのストラトス・ゼロに表れ、ランボルギーニ・カウンタックとして結実した。

車高は信じられないほど低く(ルーフまでわずか99cm)、シザードアを採用。フラットな広いフロントウィンドウを含め、ガラスはすべてゴールドにきらめく熱線反射ガラスだ。ベルギーのガラスメーカー、グラバーベル社が開発した新技術で、車への採用はカラボが初だった。そのゴールドの反射と、真珠光沢を帯びた鮮やかなグリーンのボディパネル、エアインテークなどテクニカルパーツのマットな鋳鉄グレー。この姿が車名の元となった。

イタリア語には中性がない。車は普通なら女性だが、"Il Carabo"は明らかに男性だ。この名前は、メタリックグリーンに輝く甲虫のCarabus Auratus(和名:キンイロオサムシ)から来ている。飛び立つ前に羽を広げた姿は、まさにドアを開けたカラボそのものである。

次に33ストラダーレで腕を振るったのがピニンファリーナのレオナルド・フィオラヴァンティだ。翌1969 年10月のパリ・サロンで33クーペ・ピニンファリーナが発表された。ベースとなったシャシーは105.33.750.35115 。実は、前年のフェラーリのショーカー、250 P5 のデザインを適用したものだった。250 P5はレーシングカーとなる予定だったが、スポーツカー選手権のルール変更によってワンオフで終わっていた。



アルファロメオのルラーギは、エンツォ・フェラーリと友好な関係を築いていた。そこで、P5を元にピニンファリーナがアルファのショーカーをデザインしてもよいか、エンツォに打診して了解を得たのである。変更点は少ない。主には前灯のアレンジと、サイドとリアのエアベントの形状だけで、大部分はそのまま使われた。1969年には古くささを感じさせるデザインだったとはいえ、60年代レーシングカーの完璧な曲線は、実に美しい。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo. ) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Massimo Delbò 協力:ステファノ・アガッツィ(アルファロメオ歴史博物館)、ファビオ・マルラッキ(歴史家)

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