ピーター・セラーズがソフィア・ローレンよりも愛した!? フェラーリの最高峰モデルとは

フェラーリ 500 スーパーファスト(Photography: Lies De Mol)



バッティスタ・"ピニン"・ファリーナとその息子、セルジオは、金になる新たな契約書に署名する必要でもなければ、鉛筆やペンを持つことはなかった。スーパーファストの真の立役者は、アルド・ブロヴァローネである。彼はグルリアスコのピニンファリーナから目と鼻の先にある小さなアパートに住み、自転車でオフィスに通っていた。他に移動手段があったわけではない。ブロヴァローネは生まれてこの方、一度も自分の車を持ったことはなく、またフェラーリを運転したこともない。「でも一度だけ、レオナルド・フィオラヴァンティがディーノに乗せてくれたことがありました。いい気分でしたね」

ブロヴァローネは、まるで自分は500 スーパーファストの貢献者などではないとでも言いたげな、謙虚な口調で言った。91歳のチャーミングなブロヴァローネが言葉を続ける。

「400 スーパーファストは私がデザインしました。それが進化して500 スーパーファストが誕生したのです。グリルはフランク・コスティンのレースカーからヒントを得ましたが、エンツォ・フェラーリの希望でわずかに丸みを持たせました。これは長年にわたりフェラーリの特徴となりました。私たちがエンツォ・フェラーリをはじめとするクライアントと直接話せたわけではありません。必ずバッティスタ・ファリーナと話をし、彼から指示をもらっていました。私たちはただのデザイナーで、図面を描くことが仕事です。そしてもうひとつ、世間に知られることのないグループが携わっていました。このモデルショップの人たちは非常に才能があり、独自にものづくりを手掛けることも多くありました。私たちのデザインオフィスを通らずに世に出された車は少なくなく、500 スーパーファストもその中の1台です」

500 スーパーファストはシリーズ最後の車だった。技術的にこれ以上進化させるには限界があったし、デザインの面でもフォルム、ウイング、クロームオーナメントなど、できる限りのことはすべて試したが、アメリカのテイストを満足させるようなものにはならないことが多かった。そこでピニンファリーナは、これ以上装飾を加えるのではなく、代わりにスペンサー・チュニックの写真に収められた裸体のように、官能的なラインを組み合わせることにした。

このアプローチは特に画期的というわけではなかったが、クラフトマンシップを具現化した、それ自体がアートともいえるデザインだった。スーパーファスト特有の、気品を一層際立たせるスマートなエレメントもいくつか採用された。たとえば3連テールランプは他のスーパーファストにも映えるが、ゴールドのような塗装が施されたこの車では一際際立って見える。そして裾が大きく広がったドレスの下で煌めく、宝石が散りばめられたスチレットヒールのような、官能的なテールから覗くエグゾーストテールパイプも、実にエレガントだ。

セラーズの恋愛は長くは続かなかった。エクランドは4度目の熱い夏が過ぎた頃、スーパーファストにいたってはそれ以前に彼のもとを去ることとなった。1968年、走行距離わずか1万2477マイルで、たった6000ポンドで売却された。現在の走行距離は約3万3000マイルだが、これまでに2度再塗装されている。一度、セラーズによって一般的なフェラーリのような赤に塗装されたが、後のオーナーがもとのノッチョーラに塗り替えた。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation: Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words:Bart Lenaerts Photography: Lies De Mol 取材協力:クーン・ポシェット(www.albionmotorcars.com)

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