私が操ったポルシェ911のなかではベスト|ワークスドライバーがそう語った完璧なレストア

1970ポルシェ911ST(Photography Remi Dargegen)

かつてワークスカーだったポルシェ911が、ワークスドライバーとしてこの911を操ったジェラール・ラルースのもとに戻ってきた。そのテストデイにオクタンが立ち会う。

その瞬間、接触は避けられないように思えた。しかし、路上のキジを見つけてもドライバーのジェラール・ラルースはまったくスロットルを緩めなかった。彼の右足は、床までアクセルペダルを踏み込んだまま。哀れなキジは、最初左に、しかし身を転じて右に、そこからさらに方向を変えて左に突き進んだ。「ほら、あそこにランチがありますよ」泣き叫ぶような咆吼をあげるフラット6に負けない大声で、ラルースはそう言い放った。そして彼は笑顔を絶やすことなく、私にこう訊ねたのである。「もう1ラップ、走ってもいいですか?」もちろん、どうぞ。これを断るのはあまりに無礼というものだ。

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再会
これぞ、ラルースがもっとも得意とする分野といっていいだろう。ラリーチャンピオンからスポーツレーシングカーのエースに転身した彼は、1970年のトゥール・ド・フランス・オートモビルの最終日に目にして以来、久しぶりに再会したポルシェのドライビングを心ゆくまで楽しんでいるようだった。モーリス・ジェランと組んでこのイベントに出場したラルースは後々まで語り継がれるドライビングを見せて3位でフィニッシュした。元ワークスカーであるこの911は、ヒストリック・ポルシェのスペシャリストであるヒストリカの手で完璧なレストレーションを終えてから、まだ数マイルしか走行していない。つまり、F1チームの元代表にそのランニングインが任されているといっても過言ではないのだ。

「私が操った911のなかではベストなモデルでした」ローファーを履いた右足でペダルを床まで踏み込んだまま、ラルースはそう付け加えた。それまで続いていた一方的な会話は、われわれが設定した臨時のサーキットをもう1ラップ周回すると決まると途絶え勝ちになり、助手席に腰掛けた私のことを忘れたかのような激しい走行が始まった。

それから30分後、だれにでもフレンドリーに接するフランス出身の元ドライバーは、凍えるような寒さにもかかわらず、満面の笑みを絶やすことはなかった。かつて英空軍基地だったサフォークのベントウォーターズは、年金暮らしの人物が冬に何時間も屋外で過ごすには不向きな場所だが、それでもラルースは温かな部屋に入ろうとはしない。そしてヒストリカのボスであるケヴィン・モーフェットやメカニックたちとしきりに話し込んでいたのである。率直にいって、このとき居合わせた人物のなかで、モータースポーツとハイパフォーマンスカーにもっとも関心を抱いているのがラルースであることは疑う余地がなかった。

もっとも、これは予想できないことではなかった。なにしろ、30年以上にわたって、ラルースはサーキットのピットレーンには欠かせない人物だったのだから…。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words Richard Heseltine Photography Remi Dargegen

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