ポルシェスペシャリストに聞くポルシェとのはじまり

octane UK

ポルシェのスペシャリストとして知られるオートファームの共同設立者であり、ボスであるジョシュ・サドラー氏は、40年もの間、革新的なポルシェスペシャリストの指揮をとってきた。そんな彼へのインタビューの機会を得た。

記者(以下、記) オートファームのこれまでについて教
えてください。

サドラー氏(以下、サ) オートファームは、オディントン・グランジの街にオフィスを構え、20年以上になりますが、全てはスティーブ・カールと私がアルパートンにあるグラシア・ベアリングスで働いていた1973年に始まりました。その頃私はクラブマンズの車でレースをしていて、そのお金を工面するために、自分の家にあるベッドルームを貸していました。さらにそれこそハンターのスクラップ置き場にあったかなり古いガラクタでさえも売ったりして資金を稼いでいたほどです。

 ところで、ポルシェ911を手がけられるきっかけはど
ういったことからだったんでしょうか?

 私はもともと外国のものには手を出しませんから、ポルシェ911の世界に私を引き込んだのはスティーブですね。彼はフロントコーナーが損傷している68年式911Lを買ったのですが、経済的な余裕があまりなく、結局私がそのポルシェを所有することになったのです。さらに、大きな事故で炎上した72年式2.4Sを購入し、ばらばらに分解すると、部品のほとんどを、エンジニアでポルシェエージェントのクリス・マーティンに売りました。そのクリスからは大きな影響を受けることになりました。

そうして何台かのポルシェに携わるようになり、私はロータスなどと比べ、その技術の質の高さに魅了されました。ただ、部品の入手は困難であったため、私たちはグラシア・ベアリングスの同僚で、現在は弊社で共に働いているジャック・フィリップスからステーションワゴンを借りて、中古部品を手に入れるためにドイツまで行ったものです。当時、私たちはすでにロータスでグラスファイバーに関わっていたのですが、そこで気づいたんです。『ちょっと待てよ…中古の部品、グラスファイバー…これはビジネスになるな』とね。

 会社設立と同時に退職されたんですか?

 スティーブはテストエンジニアとして、会社設立当初はグラシア・ベアリングスの社員としての仕事に留まっていました。私はというと情報開発エンジニアとして働いていてもどうにもならないなあと感じ、オートファームに集中するために会社を辞めたのです。とりあえず、私たちは私のガレージで会社を起こしました。その後、アイバーにある古い、住むには危険とされた作業場へ移ったんです。その当時、英国内でポルシェは、各モデルにつき30~40台しか売れていませんでしたが、1972年までにはその数は70台まで増加していました。市場には入り込む余地があり、私たちはちょうどいいタイミングでそこにいたということになりますね。

 さらに会社は大きくなって行きましたね。

 そうですね。まだ、景気が良かったんです。アマーシャムへ移り、さらにその後トリングにある、より大きな建物に場所を移しました。でも、1991年には不景気に陥って、再度縮小することになりました。共に会社を興したスティーブはポルシェ・クラブGBのセクレタリーになるために会社を去り、そして今はMGカー・クラブのコンペティション・セクレタリーをしています。幸運なことに、私はペンにある自宅に離れを持っていました。とりあえず、そこに会社を移したんですが、ジャック・フィリップスとマイク・エヴァンズがついてきてくれたのです。

 ポルシェ911のスペシャリストとして知られるオートファームですが、車両の特徴をお教えください。サ オートファームは、創業当初はただの手頃な価格のエンジニアリングでした。しかし現在は質が高く、かつ手頃な価格のエンジニアリングを提供していると自負しています。私たちは996に搭載される3.6リッターエンジンのボアの傷問題などに対処する解決策を開発したことで知られています。ポルシェが施しているロカシルコーティングをやめ、代わりにニカシルライナーを入れるのです。私はその方が強度が高いと思います。それを6気筒全てに施します。

現在、私たちはオートファーム911(930ターボをベースに、3.6エンジンまたはお客様が好きなエンジンを搭載したレトロな外観の911)を提供していますが、これまで常にさまざまなプロジェクトを行っていて、その全ての記録を保管しています。「プロジェクト」として定義しているのは100時間以上かかった仕事ですが、それに加えて面白くなければプロジェクトだとは考えていません。そう考えると、私たちはこれまでに、約250のプロジェクトを完了したことになるのではないかと思います。

 創業から約40年になりますが、
オーナーとのエピソードをお教えください。

 オートファームには、長年に渡っておつきあいいただ
いているお客様が数多くいらっしゃいます。私たちは80年代にRS2.7のレストアを始めていたのですが、つい最近になって、その頃に自分たちの車の修理を依頼したという方からお電話を頂き、再度修理が必要だと連絡を受けたばかりです。私は、その仕事ができることを願っています。
 
また、カレラ・カップのレーサーであるサム・トルドフが、
彼のお爺さまのジャック・トルドフが昔ラリーをしていた当時に乗っていたRSをテストドライブしていました。それは、何十年にも渡って、ここに出たり入ったりしている車です。それは80年代、私たちがチェスター・ウェッジウッドと提携していた時の、レースカーでした。チェスター・ウェッジウッドはジロフレックス、それから、ポルシェ・クラブがレーシングを設立するのに大変貢献したゴードン・ラッセルシリーズに資金を提供していました。私たちはその車をアイルランドのターマック・ラリーの場から購入しましたが、その車の、私たちのもとでの最後のシーズンが1987年、トニー・ドロンが私たちのドライバーだった時でした。あの頃は一番幸せな日々だったように思います。

記 これからの目標は何かありますか?

 私は70歳を過ぎますが、今も仕事にはしっかり関わっていますし、リタイアしたいという気持ちもありません。そして市場がまた大きくなった暁には、会社を拡大する必要があると思っています。非常にいいチームを持っていると思うのですが、会社の敷地が少し小さすぎるのです。たくさんの懐かしい思い出がありますし、このビジネスでの40年近くを振り返るのはいいものですね。でも、次に何が起こるか、それのほうがより大切なことです。いま我が社には会社の未来を担う、5人の若者がいるからです。私の仕事は、とても忙しいものです。会社を5時半に閉めた後も、仕事を片付けるためにさらに1~2時間残ることが多くあります。マネージメントをするエネルギーだけが、もう少し必要だと思っています。

編集翻訳:松尾 大 Transcreation: Dai MATSUO 原文翻訳:渡辺千香子(CK Transcreations Ltd.) 

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