寒い国から帰ってきたモンスターマシン│驚くべき再生の物語

Photography: Stefan Warter Lipman



ポールとバーバラは急いで彼を訪ね、宣伝されていた経歴とは裏腹に、一袋のジャガイモが全財産というような、ごく慎ましい生活を送っていた彼に現金や煙草、さらに他にも暮らしが少しでも楽になるようなあらゆるものを贈った。そのニキチンはかつて、カルコフの技術院で2台か3台のアウトウニオンを扱ったという。満足な機械がないにもかかわらず、彼の留守の間に、他の技術者がただ内部を見るためだけにエンジンを外し、半分に切断したこともあったと思い出してくれた。

何度かの訪問の後、カラシック夫妻が信頼に足る人物だと判断したニキチンは、彼らを古い煉瓦工場へ案内した。そこに積み上げられた部品は、1939年タイプDのエンジンとギアボックス、完全なシャシー、サスペンションの部品、キャブレター、ツインステージ・スーパーチャージャー、そしてどうしようもないほど傷んでいたがボディの残骸も残されていた。まさしく信じがたい発見だった。



その後には、法律的な駆け引きとなかなか進まない交渉が待っていた。どのパーツも政府の放出品店の在庫として、〝責任者〞によって売却されなければならなかった。結局それらはひとつひとつ複雑な書類仕事の末にカラシックに売られることになった。

オーストリアで再び彼らは、長いシャシーを載せるためのメルセデスのミニバスを購入し、それにコーラやビール、チョコレートや煙草、化粧品などを満載してウクライナ国境へ向かった。シャシーはぎりぎり収まり、他のパーツも積み込んだミニバスを運転して彼らはフィンランド国境を目指した。それは2週間の過酷なロングドライブだったという。道路は酷く、さらにまるでやる気のない(要するに賄賂が欲しい)タンクローリーの運転手や農民のせいで常にガス欠に苦しみ、時には給油待ちの長い行列に贈り物を渡して割り込んだりしながらの旅だった。国境では苦労して作った書類がものを言って何事もなく通過、その後すべてのパーツを米国行きの船に積み込んだという。

カラシック夫妻が、彼らの秘密の財宝について明らかにしたのは1990年になってからである。自動車史家のマーティン・シュローダー、アウトウニオン・オーナーであるナイジェル・コーナー、有名なヒストリック・レーシングカー・スペシャリストの「クロスウェイト&ガーディナー」のディック・クロスウェイト、そしてアウディ・トラディションに連絡を取った。夫妻は二台のアウトウニオンのレストアをクロスウェイト&ガーディナーに依頼、同時にアウディ・トラディションに協力を求めたのである。



究極のアウトウニオンたる1939タイプDは、可能な限りオリジナルパーツを使用してレストアすることに決まった。我々がこの車を主に取り上げたのはそのためである。写真をよく見れば、たとえば傷だらけになったオリジナルのホイールスピナーのように、ぞくぞくするようなディテールが分かるだろう。このタイプDは、エンジンとギアボックス、シャシー(後にナンバー19と判明)、ホイール、ハブ、そしてアクスルとサスペンションの大部分がオリジナルパーツである。38年式のほうはエンジン(シリンダーヘッドは新たに製造)とギアボックス、さらにアクスルの一部がオリジナルパーツだ。

どちらの車もボディワークはロッド・ジョリー・コーチビルディングで新たに作り直された。また失われたパーツは、アウディ・トラディションにオリジナルの設計図が残っている限り、それを基にして新たに作られた。残ったパーツもクロスウェイト&ガーディナーによってオーバーホールされ、時には再設計された。誤解のないように念を押しておくが、実際は信じられないほど複雑な作業である。V12ユニットのローラーベアリング・クランクシャフト・アッシーひとつ取っても、何と1111個ものパーツに分解できるのである。

1993年の夏までには、1938年タイプDはインゴルシュタットのアウディ本社に展示できる準備が整った。そのさらに一年後、二台のタイプDがニュルブルクリングに並んだのである。アウトウニオンをベオグラードに戻すというポール・カラシックの夢は、セルビアで戦争が勃発したために結局実現しなかった。そもそもV12エンジンを始動するだけでも専門のエンジニアが必要であり、自由に走らせるというわけにはいかなかったのだ。

いずれにしても、ポールとバーバラは不可能を可能にした。彼らは1998年には喜んでアウディに1938年タイプDを譲渡し、39年モデルは2000年にアッバ・コーガンの手に渡った。

そして今、あらゆる困難を乗り越えた二台のグ
ランプリマシーンは、ともに故郷というべき場所に戻って来たのである。

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words: David Lillywhite

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