寒い国から帰ってきたモンスターマシン│驚くべき再生の物語

Photography: Stefan Warter Lipman

怪物のようにパワフルなタイプDアウトウニオンは伝説的なレーシングカーである。だが、この二台のグランプリカーの再生の物語は、車そのものよりもはるかに驚くべきものだった。

二台のレーシングカーが再び集う。言ってみればただそれだけのことである。しかし、この両者が今も存在しているという事実は、ある男とその家族の勇気と不屈の意志の成果に他ならない。実に信じがたいことだが、その物語には、密輸や賄賂、大量のアルコール、そしてKGB(旧ソ連国家保安委員会)といったスパイ映画さながらのエピソードが含まれているのだ。

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皆さんの中には以前にもこの物語の一部を耳にした人がいるかもしれない。しかし、11台しか作られなかったタイプDのうちの二台がこうして並ぶのはほぼ10年ぶりのこと、一緒にサーキットに姿を現したのは、昨年のグッドウッド・リバイバルが1994年以来初めてのことである。このアウトウニオンは伝説のマシンである。世界に冠たるドイツ帝国の威光を誇示するために生まれ、たちまち他のグランプリ・チームを大混乱に陥れた。それは何より、アウトウニオンはそれまでのどんなレーシングカーよりもはるかに強力だったからである。2ステージ・スーパーチャージャーを備えた最終型Dタイプの最高出力は当時としては驚異的な450psにも達し、エアロダイナミック・ボディを纏った車はオーバルコースで380km/hを記録している。同様に先進的だったメルセデス・ベンツとともに、〝シルバーアロー〞として世の中を震撼させたモンスターである。



一般的な意味ではお世辞にも美しいとは言えないが、しかしながらスタジオの照明に照らされ、無骨なノーズから長く優美なテールまで続く曲線を浮かび上がらせている銀色のマシンは、恐るべき存在感を放っている。何百万ポンドもするアウトウニオンが、それも二台、アウディの本拠地インゴルシュタット郊外のスタジオにこうして並んでいることは関係者だけの秘密とされ、私もまた口外しないことを堅く約束させられた。

赤い4の数字をノーズに持つタイプDは1938年型で、1998年からアウディが所有する車である。もう一台、1939年のツインステージ・スーパーチャージド仕様は、2007年の2月、レトロモビルのクリスティーズ・オークションで一時スポットライトを浴びたが、ヒストリーが誤っていたとして取り下げられた車両である。のちにクリスティーズのモーターカー部門が解散して間もなく、そのタイプDは静かに姿を消し、オーナーであるアッバ・コーガンのために、ヒストリックレースカーのスペシャリスト「ホール&ホール」が管理していたものだ。

当時、まさに同じ車のレプリカを製作したばかりだったアウディは、この1939年タイプDを買える状況にはなかった。しかしながら近年、アウディのセールスが飛躍的に伸びたこともあり、彼らはオリジナル・タイプDを入手する交渉を始めたのである。どのぐらいの値段がついたかは定かではないが、2007年の時点で600万ポンド以上の値が付けられていた。かつてのから騒ぎもそのタイプDの価値に影響を与えるものではないはずだ。「現在私たちは走行用のレプリカを所有しています」と言うのはアウディ・トラディションのピーター・コバーだ。「ですから、オリジナルはミュージアムにとっておくつもりです」

アウトウニオンがアウディにとってきわめて重要な車であることは、今さら言うまでもない。エンジンの排気量が無制限となり、その代わりに車両重量を750kg以下に制限する新しいグランプリ・ルール(増加する一方のスピードを抑えるため)が施行された1934年から、1939年の戦前最後のグランプリまでにアウトウニオンは63戦中20勝を挙げ、さらにその他のレースやヒルクライムで無数の勝利を積み重ねている。

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words: David Lillywhite

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