関東地方の倉庫で「希少なル・マン参戦カー」が発見される|フォードGT40 Mk.IIBの帰郷

1967年フォード GT40 Mk.IIB"1047"(Photography:Gensho HAGA)



レストアのアレンジを任された山田氏は、自身のアメリカでのネットワークを駆使し、入念な事前調査と、実際のレストア作業を担当する海外のスペシャリストの選定などに時間を費やした。これだけ貴重なマシンともなれば、まず良心的で、高い技術を持ち、GT40についての知識を持つレストアラーが絶対条件であったという。いくつかの中から選んだのは、アメリカ・ジョージア州のF.A.V.(Fine Authentic Vehicles)だった。

判明した事実
前述した記事には、シャシーナンバーは1031と記されていた。それは日本に送り出す際に車を仕立てたホルマン・ムーディーの書面にそう記されていたことが根拠だった。フォードともにル・マンを戦ったチームからの書面を疑う者など誰もいない。

様々な視点からの調査によって判明したのは、これは現存する数少ないMk.IIBの1台であること。そして、米国にある姉妹車とシャシーナンバーが入れ替わっているという、驚くべき事実だった。アメリカ・フロリダにあるマイケル・コリアー・コレクションが収蔵する、1967年ル・マン出場車のMk.IIBが本来の1031であり、そちらに1047のシャシープレートが備わっている事実が浮かび上がってきたのである。一連の調査に当たっては、写真や文献の資料調べだけでなく、スコットランド在住のGT40研究の第一人者を呼び寄せて、溶接箇所など細かな識別ポイントを頼りに解明を進めるという念のいれようだった。

コリアー・コレクションは、自動車史研究や資料収集で知られるスタンフォード大学と協力関係を結んで入念な調査を行うことで知られ、コリアー・コレクションの1031と1047がほぼ同時にレストア作業が進んでいたことから、同コレクションによって入れ替わった経緯の調査報告書が作成された。

理由は極めて明快
プレートの交換はレースに参加するためだった。1967年ル・マンでの1031は、ポール・ホーキンスとロニー・バックナムが乗り18時間目にエンジントラブルでリタイア。1047は13時間目にクラッシュによって戦列を去っている。実はこのクラッシュでは、フォード陣営は主力のMk.IVと1047、そしてフォード・フランスのGT40が戦列を去った。

1047はル・マンのあと、フォード・フランスに移管されることが決定済みで、同チームは、2週間後の6月25日に迫った、ランス12時間レース(フランス)へ"1047"としてエントリーを終えていた。そこで、ホルマン・ムーディーが、エンジン・ブロー以外にはダメージのない1031に、1047から外した主要コンポーネンツのほか、"肝心の"プレートを移設したうえで、1047としてランスに送り出した。

こうして元1031は1047となって、ランスではジョー・シュレッサーとギ・リジエが乗って優勝を果たし、7月のムジェッロでは4位、10月のモンレリーで4位と好成績を残していった。現役から離れてからは、レストアをされずにフランスの大物コレクター、セトン・コレクション(日本のパイオニアのロゴを記したラリーカーで知られている)に収まった。これらナンバーの入れ替えは、別に特別のことではなく、レースに勝つことが目的であるため、その常套手段のひとつであった。

一方、本来の1047は1031としてアメリカに残り、シェルビー・アメリカンの倉庫で眠ることになった。その後、1972年になって、日本からGT40をロードカーとして購入したいという相談を受けたことで、ホルマン・ムーディーのワークショップで整備され、顧客の元に送り出されることになった。その際、1967年のクラッシュで痛めた右リアのフレームが板金修理され、破損したリアカウルを新品に交換したほか、ロードカー用の装備とエンジン(コブラ427の430HP型)を備えた。

2台のMk.IIB姉妹車
今回、アメリカのF.A.V.におけるレストアでは、そのフレーム修正箇所の痕跡からも1047であることが明らかになった。また、リアカウルはロードカー用のものであり、そのままではMk.IIBには使えないため、コリアー・コレクションの収蔵車から型を取って、本来の形に戻されている。エンジンは1967年出場車と同じスペックの427レーシングエンジンを搭載した。

コリアー・コレクションのMk.IIBに戻すと、1047と信じられていたマシンを分解していくと、いくつかの部品に"1031"という書き込みが見つかる一方で、"1047"の文字は比較的ボルトオン部品に多かったという。また、ボディの塗装を剥がすと、下には1967年のル・マンでのライトブルーの塗色が見つかった。

こうした2台のMk.IIBの調査結果から、コリアー・コレクションは、1967年ル・マン以降のレース戦績を残すことの重要性を考慮して、自らのコレクションのMk.IIBを1967年ル・マン出場時のライトブルーに戻したうえで、あえてシャシーナンバーはGT40P 1031/1047としている。

そして、日本人オーナーが所有するMk.IIBには、晴れてGT40P/1047の名が戻ってきた。こうして、1967年のル・マンを最後に別れ別れになった、元フォードのワークスカーは、"波瀾万丈"の長い年月を経て、それぞれが当時の姿に戻った。

1047は2012年ル・マン・クラシックの直前に完成し、オーナーの手によってサルト・サーキットを疾走。実に45年ぶりのル・マン復帰を果たした。その後、日本に戻った1047だったが、2017年の冬に東京を発って里帰りすることになった。彼の地で、姉妹車の1031とヒストリックカーイベントで再会することになるのだろうか。

短いテールには調整式の可動リップが備わる。トランスミッション左側には、レギュレーションが要求するスペアタイヤ(前輪サイズ)、右側にはレギュレーションを満たすための"トランク"が備わる。

取材協力:山田泰人氏_Super Craft 文:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Words:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 写真:芳賀元昌 Photography:Gensho HAGA Translation:Andrew J. Pawlikowski

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