「ブルーバード」のオマージュを作り上げた男|ネイピア航空機エンジンを搭載車のレストア・ストーリー

1927年ネイピア・ブルーバード・オマージュ(Photography:Tim Andrew)



エンジンの遍歴
陸、空、海すべての速度記録樹立に貢献したネイピア・ライオンとはどんなエンジンなのだろうか?

デイヴィッド・ネイピアは1808年に精密機械製造の会社を興し、その後100年の間に製品の質の高さから数多くの名声を勝ち得てきた。しかし20世紀になって会社は息子の手に渡ってから事業はうまく行かず、会社は困窮状態に陥った。1895年、3代目のモンタギュー・ネイピアは自動車時代の到来を受け、新しいビジネスを展開する。オーストラリア生まれの野心家でモータースポーツをこよなく愛するSFエッジの援助を受け、ネイピアは自動車用エンジンの製造を始め、瞬く間にレースに勝利したり速度記録を打ち立てるなどして大メーカーに躍進する。

第一次世界大戦が勃発するとネイピアは、ロイヤル・エアクラフトとサンビームの航空エンジンを製作するという契約を政府と交わしたが、製造対象のエンジンは箸にも棒にもかからない代物だったので、モンタギューは自らエンジンを作ることを決心する。そうして出来上がったのが、アーサー・ジョン・ロウレッジ設計のネイピア・ライオンである。彼はのちにロールス・ロイスに行き、船舶用エンジン部門を束ねる重要ポストに就く。ライオン・エンジンが完成したのは1917年、戦線に投入されたのは終戦間近だった。ロウレッジが考案した革新的な"矢じりのような"、すなわち通常のクランクを4気筒の3つバンクで回すという設計形態は、エンジンの外寸をコンパクトにするものであった。1気筒あたり4つのバルブと2本のOHCを備えることからアルミニウム合金の本体は大柄ではあったが、初期の段階で450hp、のちのレーシングバージョンでは1300hpにまで増強、当時もっともパワフルなエンジンであった。1920年代から30年代にかけて16万基が製造されたネイピア・エンジンは、150以上の異なる機体に載せられ、1929年にはグロスターVI型飛行艇により航空機による速度記録を打ち立てた。

マルコム・キャンベルはネイピア・エンジンで3つのイギリス及び世界速度記録を持つ記録保持者だが、最初にライオン・エンジンを搭載したのは地上を走るレコードブレーカーだった。1927年のブルーバードの記録は1929年にヘンリー・シーグレーヴのゴールデン・アローに、1933年にはジョン・コブのネイピア-レイルトンに引き継がれる。シーグレーヴは1930年に水上のレコードも樹立するが、そのとき乗ったミス・イングランド2世号にもネイピアのエンジンが積まれていた。1938年、コブはライオン・エンジンを2基、自身のレイルトン・スペシャルに搭載し、戦後はレイルトン-モービル-スペシャルの名で394.19mph、片道403.1mph(約648.6km/h)の途方もない記録を残した。これが400mphを超えた最初の車である。1968年、ネイピア・シーライオン・エンジンはデイヴィッド・ルウェリンとピーター・モーレイによって8リッター・ベントレーのシャシーに積まれ、以来ヴィンテージカー・ミーティングの常連となっている。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Delwyn Mallett Photography:Tim Andrew

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