「ブルーバード」のオマージュを作り上げた男|ネイピア航空機エンジンを搭載車のレストア・ストーリー

1927年ネイピア・ブルーバード・オマージュ(Photography:Tim Andrew)

ここに紹介するのは、自宅にあった24リッターのネイピア航空機用エンジンを使って、マルコム・キャンベルのレコードブレーカーのオマージュを作り上げた、あるエンスージアストの話である。

もし代々伝わる家宝の中に24リッター・12気筒のネイピア・ライオン航空機用エンジンがあったとしたら、あなたはどうしますか?

これから披露する物語は、ローネ・ヤコブ卿に実際起こったことである。彼は機械工学の専門的知識を持ち合わせていたから、いつかはこの伝説的価値のあるエンジンを活かした車を作ろうと野望を抱くのも当然のことだったかもしれない。

レコードブレーカーがある家
子供のころから彼のそばには、1920年代から30年代のネイピア・エンジンを搭載したレコードブレーカーが3台もあった。そのエンジンがあることも知っていた。3台のうちで一番古いのが、マルコム・キャンベルが作った1927年のブルーバードである。彼はブルーバードの走る姿にあこがれてそのオマージュを作ることにした。VSCCのレースに参加したり、ときには一般道をそのエンジンを載せたブルーバードで走りたかったのだ。ただ、ブルーバードのオリジナルの姿では、どの条件も満たすことはできそうもなかった。ヤコブはこう思った。忠実に再現したレプリカを作るのではなく、オリジナルが3トンの巨大な鳥なら、自分は1.5トンの小鳥を作ればいいではないかと。現実的な製作プランだったが、もうひとつやりたいことがあった。2シーターにすることだ。予備の座席に人を乗せられれば、仲間と楽しさを分かち合える。

キャンベルのブルーバードの生まれ故郷はサリー州のポヴェイ・クロスという村である。牧歌的な田園風景に囲まれた16世紀のカントリーハウスでブルーバードは組み立てられた。ヤコブもまた、ちょっと田舎くさい庭の片隅に建てた納屋でブルーバードを作ろうとしていた。ミドルセックス州のノルソルト、ここは数々の偉業が達成された地として知られている。

ブルーバードの物語はロルネ・ヤコブの祖父ゴードン・ヤコブとその友人ロナウズに始まる。ロナウズはネイピアの設計室で働いていた人物だ。ふたりは自分たちの車を作りたいとの思いから、ライオン社の船艇用エンジンを直接購入する。ネイピア・パワー・ヘリテージ・トラストによれば、シリアルナンバー141を付けたシー・ライオン・エンジンはもっとも初期の海軍御用達エンジンであり、1930年にポーツマスの造船会社、ヴォスパーに供給された、とある。

そのエンジンの長さたるや尋常ではなく、屋内保管しようにも物置小屋に収まり切らず、母屋の居間にまではみ出していた。居間でエンジンと同居するのはまっぴらと妻は家を出ていき、ようやく2009年に車に載せることにした。

いっぽう、ヤコブJr.はブガッティやベントレーで働いた35年の間に、機械工学の知識を蓄えていった。主に勉強したのは、1950年代の5リッター・6気筒のシドレー・スペシャルをベースに作り上げた"スペシャルズ"の歴史である。マルコム・キャンベルが1936年シドレー・スペシャル・ヴァンデン・プラ・スポーツトゥアラーを所有していたのは偶然だろうか。その車は60年後にヤコブのプロジェクトの基盤となるのだ。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Delwyn Mallett Photography:Tim Andrew

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