ランチア珠玉のコンペティションカー3台の「別次元の走り」が伝える栄光の戦績

(右)1981年ランチア・モンテカルロ グループ5、(左)1983年 ランチア 037 グループB、(中)1988年ランチア・インテグラーレグループA(Photography:Mark Dixon)



ベータ・モンテカルロ・グループ5
この日、最後にステアリングを握ったのは、1970年代のランチアがいかに幅広いモータースポーツ活動に手を染めていたかを物語り、80年代に大きな野望を抱いていたことを証明するマシン、ベータ・モンテカルロだった。

ベータ・モンテカルロはラリーカーでなければロードカーでもない。グループ5のレーシングカーとして作られ、その後ル・マン24時間に参戦するLC1やLC2の先駆けとなった。

1970年代半ば、ランチアはストラトスをサーキットで走らせる実験を行ったが、これは大きな成功を収めなかった。そこでロードカーのベータ・モンテカルロをベースとするアイデアが生まれる。そして後の037同様、ボディ中央部のモノコックを流用し、前後にサブフレームを伸ばすことになった。

エンジンは例によって4気筒DOHCで、これにKKK製ターボチャージャーを装着、横置きにマウントした。一時は、フェラーリ308用のV8を搭載する案も浮上したようだが、4気筒のほうがはるかに軽いにも関わらず、ブースト圧を引き上げれば400bhpも可能と考えられた。通常は1.4バール、ときには1.7バールまで過給された2001ccエンジンは2.0リッター以上のクラスに組み込まれてチャンピオンシップを戦った。

ジョンが所有するマシンのシャシーナンバーは1009。これはミケーレ・アルボレート、ベッペ・ガビアーノ、そしてピエルカルロ・ギンザーニのドライブで1981年のデイトナ24時間に参戦した車そのものである。彼らは予選で14番グリッドを得たが、決勝では夜中過ぎにバルブ脱落のためリタイアに終わった。

次に挑んだムジェロ6時間では3位でフィニッシュしたものの、ギアボックスのケーシングが変更されていたことが発覚し、失格に処された。モンツァ1000kmではアルボレートとアンドレア・デ・チェザリスがレースをリードしていたが、129周目に燃料ポンプが故障。しかし、ニュルブルクリンク1000kmではリカルド・パトレーゼとエディ・チーヴァーが総合11位でフィニッシュしている。

そしてル・マン24時間ではチーヴァー、アルボレート、カルロ・ファセッティの3人がナンバー1009をドライブ。3台が出場したワークスマシンは、いずれも耐久性を重視し、過給圧1.4バールで400bhpを生み出すようディチューンされていた。このうち1台はクラッシュ、1台はガスケットを吹き抜いたが、後にジョンが所有することになるナンバー1009は総合4位、そしてクラス優勝を果たしたのである。

この年、ランチアは前年に続いてグループ5のタイトルを獲得。これでベータ・モンテカルロはお役御免となり、ナンバー1009はプライベートチームのスクデリア・シヴァマ・ディ・ガリアテに売却され、1982年シーズンを戦った。この年も1009は健闘、マーク・サッチャーはモンザとシルバーストンで完走を果たしたほか、ル・マンでは総合12位、グループ5の2位に食い込むなどの成功を収めた。最後のレースとなったのは1982年10月のブランズハッチ1000kmで、このときは残念ながら56周目でオーバーヒートによりリタイアに追い込まれた。

ジョンが手に入れたときにはマルティーニ・ストライプが失われていたが、ジョンと彼のチームは、1981年ル・マン24時間のときのカラーリングを再現することを決める。しかし、十分な数の写真が集まらなかったため、最終的には1981年デイトナ24時間の際の仕様とされた。これがきっかけとなり、デイトナ・ヒストリックの主催者からイベント出場への招待を受けることになる。「私はダート専門なもので、デイトナは走ったことがありませんでした。レース前日の朝は4時に起き、ビデオを見てデイトナの走り方を勉強しましたよ。私が車に乗り込んだのはレース当日が最初。ところがミラーがなくて、なにも見えないことに気づいたのです!でも、本当に素晴らしい経験になりました」

交通を封鎖した一般道での試乗で、モンテカルロはややトリッキーな一面を見せた。クラッチのつながり方が唐突なうえ、シフト時には037よりさらに大きなノイズを立てたのである。エンジンは、当初まるで反応しないが、いざターボが効き始めると表情を一変させる。ギアボックスに負けないくらいエンジンが轟音を発し始め、サスペンションには寛容さがひとかけられも感じられなかったのだ。

サーキットでの体験はそれに優るものだった。良好なメカニカルグリップとエアロダイナミクスがマシンの走りを別次元へと引き上げてくれたのだ。しかし、公道上での振る舞いに限っていえば、もっとも強く私の記憶に残ったのは037だった。実は、走り終わった夜にベッドで寝ていると、突如として目が覚め、その走行シーンがまるで走馬燈のように蘇ったのである。ランチアの現状は残念でならないが、かつて彼らが卓越したコンペティションカーを生み出したことは長く語り継がれることだろう。

取材協力:ジョン・カンピオン、アンドリュー・シュワブ、ドラック・コンレイ、ベン・クルイードボス、ジャクソンヴィル警察

もっとも偉大で、もっとも重要な3台のランチアで閉鎖された公道を飛ばす。耳をつんざくようなノイズがあたりに響き渡る。


(左)1988年ランチア・インテグラーレグループA
エンジン:1995cc4気筒 DOHC、ターボチャージド、ウェバー燃料噴射装置
最高出力:300bhp/6250rpm 最大トルク:290lb-ft/3000rpm
駆動系:6段MT、フルタイム4輪駆動 ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション前&後:マクファーソンストラット、コイルスプリング、
ロワー・ラテラル・アーム、トレーリング・リンク、アンチロールバー
ブレーキ:ベンチレーテッド・ディスク 車重:1120kg
性能:最高速度135mph、0-60mph 6秒(ギアレシオによる)

(中)1983年 ランチア 037 グループB
エンジン:1995cc4気筒 DOHC、スーパーチャージャー、ボッシュ燃料噴射装置
最高出力:305bhp/8000rpm 最大トルク:221lb-ft/5000rpm
駆動系:ZF5段MT、後輪駆動 ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション前:ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、
テレスコピックダンパー、アンチロールバー
サスペンション後:ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、
ツイン・テレスコピックダンパー、アンチロールバー
ブレーキ:ベンチレーテッド・ディスク 車重:960kg
性能:最高速度140mph、0-60mph 5.8秒(ギアレシオによる)

(右)1981年ランチア・モンテカルロ グループ5
エンジン:1425cc4気筒 DOHC、ターボチャージャー、
クーゲルフィッシャー燃料噴射装置

最高出力:400bhp/9500rpm 最大トルク:390lb-ft/6000rpm
駆動系:コロッティ5段MT、後輪駆動 ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション前:マクファーソンストラット、コイルスプリング、
ロワーAアーム、アンチロールバー
サスペンション後:チャンプマン・ストラット、コイルスプリング、
ロワーAアーム、トレーリングアーム、アンチロールバー
ブレーキ:ロッキード・ベンチレーテッド・ディスク 車重:780kg
性能:最高速度168mph、0-60mph 3.6秒(ギアレシオによる)

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:David Lillywhite Photography:Mark Dixon

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