北京からパリまで8か国1万2000kmをクラシックカーで巡る過酷なラリーに挑戦

Photography:Gerard Brown

8カ国、1万2000km超を33日間で走破する壮大なラリーが"北京 - パリ・モーターチャレンジ"だ。「自動車で行くのは、およそ不可能」とはボルゲーゼ公の1907年の名言。世界で最も人里離れた辺境を走り切る苛酷なラリーにOctane編集部が密着した。

19世紀後半に誕生したガソリンエンジン車は、20世紀に入ってから急速に発達し、普及していった。自動車の発展に大きく寄与したものにレースや冒険旅行があった。自動車という新しいツールを手にした冒険家は、これを駆って世界への旅に出た。



1907年には、北京からパリを目指して5台の車がスタートした。ルートは自由。優勝賞品はマム・コルドン ルージュのシャンパンが1本という、紳士のチャレンジであった。参加車はイターラ(イタリア)、スパイカー(オランダ)、小さな単気筒3輪車のコンタル(フランス)、2台のド・ディオン・ブートン(フランス)であった。62日後、パリ凱旋門には、全車リタイアではという大方の予想に反して、イタリアの名門ボルゲーゼ家のシェピオーネ侯爵がドライブする4気筒7433ccのイターラがゴールし、5台中4台が完走という結果を残した。



その壮大なラリーエイドが90年後の1997年にヒストリックカーイベントとして復活したのだ。

見渡す限りどこまでも広がるモンゴルの荒野に、突如として夜明けが訪れた。太陽は最初、地平線上の赤茶けた紫色の染みとして気配を現し、それがくすんだオレンジ色の球体になって登っていくと、平野が色を変え始める。今朝は気温がぐんぐん上昇し、それと共に、昨日の日没時と同じような強い風が戻ってきた。大きな緑色のテントで、誰かが朝食を知らせる銅鑼を鳴らす。

昨日は、この一晩の休憩所へたどり着くまでに、月面のような岩だらけの荒野や、狭い峡谷を抜け、おそろしく急な山道を登らなければならなかった。その名を“破滅の山”というが、急峻な荒れた坂ゆえにトラクションが不足し、後続車が全力で登ってくるにもかかわらず、後ずさりしてしまうというチームがいくつも現れた。または、路肩に車を停めて、参加車に牽引してもらうチームもあった。



さらに悪いことに、迫り来る夜の寒さを避けようと、牛や山羊の群れが峠から下りて来るのだ。このたった3kmほどの山道で、運命が劇的に変わってしまったチームがいくつかあった。

こうした苛酷なルートがモンゴル南東の中国国境から、北西のロシア国境にある小さなチェックポイントまで10日間にわたって続いた。だが、モンゴルを車で横断する旅は実に印象的な体験であった。1日中走り続けても、人も、動物も、鳥も、昆虫さえもまったく遭遇しない。ここでルートを見つける難しさは、1907年にパリを目指したパイオニアたちが通ったときとほとんど変わっていない。


編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Glyn Tucker 

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