無敵を誇った「ランチア・ストラトス」という伝説|1977年モンテカルロ・ラリーのクルー全員の再会

1977年ランチア・ストラトスHF(Photography:Matthew Howell)



メカニックも当時のまま
そんな妄想は、耳のすぐ後ろで爆発したV6エンジンの轟音で吹き飛んだ。コクピットの中は強烈なサウンドで満たされたが、しかしながらアヴァンデーロはいきなり猛然とダッシュするのではなく、代わりにゆっくりと、3速1000rpmぐらいでストラトスを走らせた。ストラトスもまったくやすやすとその仕事をこなしている。現在のエンジンは明らかに、ムナーリ時代よりももう少し扱いやすくなっているようだ。

「これはマリオーリのエンジンなんだ」と彼は誇らしげに説明した。ムナーリがストラトスの能力を最大限に引き出すドライバーとして称賛されるならば、クラウディオ・マリオーリは、他の誰よりもストラトスを知り尽くしたエンジニアとして称えられなければならない。この車の前オーナーであるマリオーリは元々ランチアのレーシングドライバーとして知られ、その後エンジニアに転身した男である。マリオーリはランチアのワークスチームが手を引いた後もストラトスを見放すことはなかった。ベルナール・ダルニッシュがあのシャルドネ・ブルーのストラトスで1979年のモンテカルロを制した時、それを支えたのはフランスのインポーターとともに働いたマリオーリである。ダルニッシュの戦いぶりは素晴らしかったが、記録によればそれはわずか6秒差の薄氷の勝利だった。観客がビョルン・ワルデガルドのフォード・エスコートの前に石を置かなければどうなっていたか分からない。

マリオーリの工場は北イタリアのピエモンテ州のビエラにあり、アヴァンデーロの家のすぐ近くにあった。

「私はラッキーだった」と彼は言う。「今でも、当時ストラトスを手掛けていたメカニックが何人か残っている。彼らは何をどうすべきかを知っているんだ」そう言いながら彼はノンシンクロのギアボックスをシフトダウンして、一気に加速して見せた。メカニックたちが40年前の冬の夜にストラトスを走らせた当時の腕を失っていないことは間違いないようだ。V6エンジンがレブリミット目がけて唸りを上げると、ストラトスは再びその不遜なまでのプライドを発散し始めた。ただラリーに勝つためだけにこの惑星に派遣されたことを自ら知っているかのようだった。この車を、とりわけ雪のモンテカルロで自由自在に操ることができれば、自分は無敵だと確信できただろう。それこそおそらくサンドロ・ムナーリが考えたことではないだろうか。「ポルシェだろうとフォードだろうと、オペルそしてフィアットがどんな車で立ち憚ろうと、すべて打ち破ってみせる。ラリーの勝利は私のものだ」事実、それは何度も証明されたのである。

ストラトスを呑み込んだキャリアカーのドアが閉まるまで、私たちは飽きもせずに見守った。天から降ってきたような美しく、異様なマシンは、静かに姿を消したのである。アヴァンデーロはクローズド・サーキットやヒストリック・イベントなど、年に5回ほどはストラトスを参加させているという。最近参加した最も大きなイベントは2015年のアイフェル・ラリー・フェスティバルで、3日間にわたるイベントではムナーリがステアリングを握った。その際にストラトスは、ワルター・ロール、ハンヌ・ミッコラ、スティグ・ブロンクヴィストそしてティモ・サロネンといった審査委員による"チャンピオンズ・チョイス"賞に選ばれた。多くのファンたちと同じように、ラリー界のスターたちもまた、この特別なストラトスに魅了されているのである。

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