大いに見直したFRポルシェ│歴代モデルの魅力を余すところなく語る

写真:ポルシェAG Photo:Porsche A.G.

1976年にポルシェ924がデビューし、928、944と続き、968で終焉を迎えたFRレイアウトのポルシェ。それらは時代の徒花ではなく、やはりポルシェらしさが詰まったモデルだった。そしてその技術的象徴が「トランスアクスル」だったことは間違いないだろう。

時は70 年代初頭、VWとの共同開発である914の後継として、ポルシェは924の開発に着手していた頃だ。と、そこで首脳陣は、ポルシェの未来を託する重要な決断を下すことになる。それが911に代わる新たなフラッグシップモデル、928の開発だ。

当時の911はパワーアップに伴う操縦安定性の構築やオイルショック以降の環境規制などで、エンジニアリング的にギリギリの状況であったことは想像に難くない。新時代を担わせるに相応しいエンジン、それを搭載するパッケージを吟味すれば、米国市場を中心に需要の高まっていたラグジュアリー系のクーペに軸足を置きたくなる気持ちはわかる。

つまり、911を挟むような価格帯に924と928を置いて、今日的なスポーツカーメーカーとしてビジネスを展開する、それこそが会社の存続のための選択肢であると。そういう決意のもとに作られた928は924から遅れること2年、78年に登場した。


1983年 928S オリジナルの4.5リッター230psからボアアップで4.7リッターに拡大されたV8ユニットは本国仕様で300psを発揮する。

日本における928 の評価は決して芳しいものではない。それは911へのリスペクトがとても大きなものであること、そのラグジュアリー性がスポーツカーとは一線を画するものとして扱われたことが原因だろう。それもあって、日本に導入された928は大半がATだ。当時のATといえば大きなトルクコンバーターがズルズルと滑る、スポーティユースには向かないものである。

試乗したのは83年型の928S。ボアアップで4.7リッターに拡大されたV8 ユニットは本国仕様で300psを発揮する。ミッションは5速MT。自分にとって928のMTは初めての経験だったが、過去の試乗とはまったく違った印象に驚かされた。



パワーそのものは今や特筆することもないが、エンジンのピックアップは、たとえばパナメーラやカイエン辺りのV8ユニットと見比べても大きな見劣りがないほど軽快で、振動も非常に少ない。妙な着色のない澄んだサウンドはむしろ新鮮で、グイグイとパワーが盛り上がる感は薄いものの、高回転域までフラットにパワーを乗せていく。格別の刺激はなくも扱いやすくて気持ちいいという性格は、今日までの多くのポルシェに共通するものだ。

そのパワーを仲介物なくダイレクトに後輪に繋げるMT で走ってみれば、AT での試乗体感よりひと回りは車が小さくなったかのように振る舞ってくれる。そこでまた感心させられるのはシャシーの出来の良さだ。

トランスアクスルによる重量配分の適正化は、トラクションにもブレーキングにもしっかり効果が感じられるが、その安定した応答感はそれだけがもたらすものではない。柔らかめのサスは上屋をよく動かすが、重心高が適切なためロールの量やスピードがドライバーに恐怖として伝わることがない。横方向の負荷を用いてトーコントロールを安定方向に向けるヴァイザッハ・アクスルの感覚までを確認するには至らなかったが、シャシーなりに走らせている限りは、その必要性を感じないほど運動性能は安心感が高い。80年辺りのスポーツカーの動的平均からみれば、928は実はとんでもない水準に達していたのだと改めて実感させられる。

同時に試乗したのは924〜968までの4気筒FRモデルだが、車格やパワーがまったく違えど、その走りのキャラクターは928 に非常によく似ている。上屋はよく動いているのに四肢はしっかりと路面を捉え、姿勢変化を情報としてしっかり伝えながらもドライバーには怖さを感じさせない。切り増しにも余裕で応え、滑り出しも非常にリニアーと、こういうドライブフィールはどこかで味わったことがあるなぁと思い出したら、ポルシェのFRモデルのそれはいにしえの、それこそ201 や124 世代のメルセデスのそれによく似ている。


1976年型 924 大開口のハッチゲートを持つ2+2と、スポーツカー的には不利な要素が多いが、この時点から剛性感は際立っている。


1980年型 924 カレラGT グループ4のホモロゲモデルとして企画され、406台が生産された限定車両。過激なターボユニットを背負えど運動性能に破綻はない。


1990年型 968CS 搭載される直4ユニットはボアアップで遂に3リッターに。クラブスポーツは強力なレスポンスを活かせる素晴らしい応答性を持つ。

果たしてポルシェが500 を手掛けることになったのは、巷間言われるメルセデスの下請け的な理由のみだったのだろうか。ヴァイザッハのポルシェエンジニアリングは、この頃から他メーカーの市販車技術の開発委託や支援などでビジネスを広げ始めている。委託元の立場を察するに、当時の911 のエンジニアリングをもってポルシェの開発力に頼ることはないだろう。つまりこれらのFRモデルは、同種の車両を開発する側からみてもとても魅力的なものだったと。現に90年前後、日本から登場した数多のスポーツカーたちは、その開発のベンチマークとして軒並み944ターボの名を挙げている。

文:渡辺敏史 Words:Toshifumi WATANABE 

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