ジャガーDタイプ プロトタイプを駆って伝説のテストドライバーに会いに行く

Photography:Matthew Howell



CタイプとDタイプは同じ時期にレースに参戦していたが、両車には設計と性能に大きな差があった。Dタイプは溶接されたサブフレームをフロントに持つモノコックだが、Cタイプは鋼管スペースフレームだった。またDタイプが最新のダンロップ製アロイホイールなのに対し、Cタイプは旧式なワイヤーホイールであった。肝心のエンジンは、DタイプではCタイプから継承した直列6気筒XKユニットながら、シリンダーヘッドに改良が施された。径が大きくてまっすぐなインレットポート、17/8インチ(約47.6 ㎜)径に拡大された吸気バルブ、カムプロファイルの変更などだ。またコーナーでのオイルの偏りを防ぐべく、潤滑システムをドライサンプとしたが、これによって、オイルパンの厚みの2インチ(約50 ㎜)分、エンジンを低く搭載できるようになった。これによってボディデザイナーのマルコム・セイヤーが、より低く、よりスリークなボディデザインを生み出せることになった。



今回のシャシーナンバーXKC401は、1954 年3月ごろに完成し、続いてシャシーナンバー402から404の3台のワークスカーがル・マンにエントリーした。XKC 401はOVC 501として登録され、402がOK V1、403がOKV2 、404がOKV 3となった。ジャガーはワークスDタイプのル・マン初出場に際して超一流のドライバーチームを結成して臨んだ。ドライバーはハミルトン、ロルト、モス、ウォーカー、ホワイトヘッド、およびウォートンの布陣だ。だが、ジャガー勢はメカニカルトラブルにより敗退し、4.9リッター・フェラーリに乗るゴンザレスが辛勝した。

そして1955 年のル・マンに向けて設計改良は大きく進歩した。最大の変更はフロントのサブフレームだ。溶接ではなくフロントバルクヘッドへのボルト留め構造として、レース中の修理作業がより迅速に行えるようにした。また材質がマグネシウム合金からニッケル鋼に変わった。その理由は肉厚を薄くできるためで、サブフレームは依然として軽量だった。さらに外観上で顕著なのは、1955 年のワークスマシンのノーズだ。高速域でのより良好な空力を追求して、7インチ(約178㎜)延長されたのだ。1955 年仕様のエンジンは他のいろいろな改良点とともに、吸排気バルブを拡大して約30bhp増加の270bhpを絞り出した。



1955 年のル・マンは、ピエール・ルヴェーのメルセデスが観衆の中に飛び込み、ピエール自身と83人の観客が犠牲になるというル・マン史上最悪のアクシデントにより不名誉なものとなった。トップを走っていたメルセデスがレース途中で本社の意向により引き上げたことで、ワークスDタイプ(XKD505)のホーソン/ビューブ組の勝利に終わった。

1956 年ル・マンのために、ジャガーは3台のワークスDタイプのうち2 台にルーカス製燃料噴射装置を備えた。だが、レースでは3台すべてが事故などでリタイアした。ホーソンが乗ったインジェクション仕様のXKD605は、燃料配管のヘアラインクラックがリタイアの原因だったという。だが、プライベートエントリーのエキュリー・エコッスのDタイプ(MWS301)に乗るフロックハート/サンダーソン組がDタイプにとって2度目のル・マンでの優勝をもたらした。

エキュリー・エコッスは1957年もDタイプで参戦し、1位と2位を制し、上位6 位までの5台をDタイプが占める快挙を成し遂げた。ジャガーは、1956 年から後にEタイプとなる新型車開発に集中するためレース活動を中止していた。この後のジャガーのル・マンでの勝利は、1987年まで待たなければならない。

また1957年にはブラウンズレーンの工場が火災に見舞われ、生産中であった9 台のDタイプのほか、DタイプのロードバージョンであるXKSSの生産設備も焼失したことが、レース活動の中止を決定的なものとした。総計では42台のDタイプが販売され、そのうちの16台は販売台数を押し上げる試みとしてXKSSにコンバートされた。Dタイプの時代はここに終わった。

Dタイプでの高速道路ドライブは最高だ。回転計は3400rpmに留めた。これは60 年前のサルト・サーキットにタイムワープしているような体験だ。私のサングラスとハンチングは撮影上の演出に見えるかもしれないが、気流は低いスクリーンを超えてもろに顔に当たるので、視界を確保し頭を保温するのに、これらは実際に役立っている。エンジンもコクピットの暖房の役に立つ。スロットルを踏むたびに足回りに暖気を感じる。

エンジンの回転数は重要だ。あるところから、まるで車がまどろみから目覚めるようにエグゾーストノートは甲高く強力になり、Dタイプは本来の姿である高速のレーシングマシンに変身し始める。2 年前、私はル・マンの勝者であるアンディ・ウォーレスとジュネーヴまでDタイプで走ったことがある。アンディは、ブガッティ・ヴェイロンをテストするのが仕事だったが、Dタイプのエグゾーストノートを聞きたいがために、ルート中のすべてのトンネルでスロットルを緩めることをしなかった。

編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA Words:Mark Dixon 

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