「ポルシェ ワークス924カレラGTP」の1980年ル・マンでの絶体絶命の窮地と完璧なレストア

ポルシェ カレラ924GTP(Photography:Jamie Lipman, Porsche archive)

1980年のル・マン24時間レースに出場した3台のワークス924カレラGTPの一台は、トニー・ドロンがそのステアリングホイールを握っていた。36年後の今、完璧にレストアされた同じ車に再び彼が乗り込んだ。

決断するにはほんの一瞬しかなかった。真っ暗闇の午前3時、一台の935K3が皮肉にもポルシェ・カーブでスピンして動けなくなってしまった。ちょうどそこに差しかかった私は、右側に問題なくすり抜けられるスペースを見つけた。ところが、そのK3は逃げ道を塞ぐように後ろにズルズルと下がって来たのである。大挙して出場していたK3のうちの何台かは腕利きドライバーが操っていたが、残りの大半は非常にお粗末なレベルだったのである。

1980年ル・マン 真っ暗なポルシェ・カーブで
すべては瞬きするぐらいの間に起きたことだ。多少スピードは落ちたとはいえ、さらに小さく回って左側に避けるには依然として速すぎた。大クラッシュは避けられないようにみえた。そうなったら、まっさらのワークス・ポルシェ924カレラGTPを台無しにしてしまう。残された可能性はひとつ、935のテールとガードレールの間のわずかな隙間を狙うことだ。ただしそれは、左コーナーの外側の縁石を乗り越えるということで、到底無理にみえたが他に手はなかった。結局、私は絶体絶命の窮地を脱することができた。

危機一髪で何とかそのポルシェをやり過ごした後も、私は左を向いてフルカウンターを当てたままの状態だった。パセンジャー側のウィンドウを通してコースを見極めようとしたが、当時は照明もなくまったくの闇の中だった。だが続いてステアリングが反対側に跳ね返る予兆が感じられた。今度は右側にスピンしたが、その瞬間にヘッドライトが進むべきコースを照らし、そのおかげで針路を立て直すことができた。

それはおそらく私の43年間のレースキャリアの中で最も幸運な瞬間だった。今思い出しても血が凍るような感じがする。ほんの少しの差で、初めて出場したル・マンでワークス・ポルシェをガラクタにしてしまうところだったのである。朝6時ごろからは排気バルブが焼き付くトラブルでかなり遅れたが、それでも我々は無事にフィニッシュすることができた。924GTPにとってはこれが唯一のレースだった。その後シュトゥットガルトに戻った車と再会するとは考えもしなかったが、レーシングカーとして過小評価されていたこの車を忘れたことはなかった。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Tony Dron Photography:Jamie Lipman, Porsche archive

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