ポルシェ911から生まれた過激派「ポルシェ935クレマーK3」がル・マン優勝できた理由とは?

1979年クレマー・ポルシェ935 K3(Photography:Pawel Litwinski)



だが、最大の変更点はインタークーラーを空冷式に戻したことだろう。これは軽量化だけでなく、長丁場のレースでパワーを維持するのにも貢献したとクレマーは話している。こうして、3.2リッターの"スプリント用"エンジンに1.7barのブーストを加えて8000rpmから805bhpの出力を引き出した。

クレマーはK3を13台製造し、カスタマーがモディファイできるようにキットも提供していた。F1チームのオーナーだったウォルター・ウルフの依頼で、内装や消音装置を備えた最高速度210mphのK3ロードカーも造っている。

ウィッティントン兄弟のレース資金
1979年のル・マンはハリウッドが喜ぶような逆転劇とはならなかったが、その数年後に映画さながらの、ショッキングなどんでん返しが待っていた。当時、資金が豊富なアメリカの国際モータースポーツ協会(IMSA)は、"国際マリファナ密輸協会"(International Marijuana Smugglers Association)だと陰口をたたかれることもあった。それを証明するかのように、ル・マンの数年後にウィッティントン兄弟がマリファナの密輸に関与していたとして逮捕されたからだ。実は、これがレース活動の資金源になっていたのである。ドンは18カ月の服役で済んだが、ビルは700万ドルの追徴金を支払い、15年の刑期のうち4年間服役した。

裁判では、K3の代金20万3000ドルが密輸による利益で支払われ、その購入を当局に隠していたことも暴かれている。この25年後に、K3は再び新聞の見出しになった。2009年にドン・ウィッティントンがインディアナポリス・モータースピードウェイを相手取って、K3の所有権を争う裁判を起こしたのだ。

K3は1980年代初頭からモータースピードウェイのミュージアムで展示されていたが、ドンは貸し出しただけだと主張した。しかし、書類は一切なく、関係者の一部は既に亡くなっていたため、ドンの敗訴に終わった。裁判官のひとりはこうコメントしている。「ウィッティントンは、紙に記されていない契約には白紙ほどの価値もないということを肝に銘ずべきだ」

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curatorsLabo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curatorsLabo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Delwyn Mallett Photography:Pawel Litwinski 取材協力:ブルース・マイヤー、カネパ・モータースポーツ(www.canepa.com)

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