ポルシェ911から生まれた過激派「ポルシェ935クレマーK3」がル・マン優勝できた理由とは?

1979年クレマー・ポルシェ935 K3(Photography:Pawel Litwinski)



935のワークス参戦は1978年が最後となった。この年に送り込まれたのが、前後に伸びた形状から"モービーディック"(白鯨)と呼ばれたモンスターだ。車高を下げて空力を追求したボディワークの下には、前後のサスペンションを支えるチューブラーフレームを備え、そこに多少の911由来パーツを組み付けていた。テールセクションも新しくなったが、前年同様オリジナルのルーフとリアウィンドウの上に"空力改善用ルーフ"を被せていた。

新開発の24バルブユニットによってパワーは750bhpに向上した。シリンダーバレルは従来からの空冷式だが、そこに水冷式のシリンダーヘッドを溶接し、アキレス腱だったオーバーヒートによるヘッドガスケットの吹き抜けを防止した。もうひとつの工夫が、ギアボックスを上下逆さに搭載したことだ。ハイトが高いリアタイヤのセンターに合わせてドライブシャフトの角度を近づけ、ジョイントの信頼性を高めることがねらいだった。

驚異的な直線スピードを誇ったモービーディックは、ル・マンで227mph(約365km/h)を記録した。初戦のシルバーストンでは7周の大差で勝利を収めたが、その後の3戦では結果を出せなかった。

ワークスカーとしての役目を終えたモービーディックには、当時、ある噂が立った。エッセン・モーターショーに展示するために運ぶ途中で、クレマー・レーシングに"短期滞在"したというのだ。クレマーはこの噂を否定していた。真偽はともあれ、クレマーK3がワークスカーとほぼ同じ仕様だったのは確かだ。そこに独自の細かなモディファイを100カ所ほど加えていたが、「1%よくなっただけ」とアーヴィン・クレマーは謙遜していた。だが、その1%が効いた。クレマーK3は1979年に15戦12勝、2位が2回と、ほぼ無敵の強さを誇ったのである。

クレマー兄弟の挑戦
マンフレートとアーヴィンのクレマー兄弟は、1964年からドライバー兼チューナーとしてレースにかかわり始めた。クレマー・レーシングは、1970年からポルシェでル・マンに参戦を開始し、以来コンスタントに上位フィニッシュを果たしている。1977年と78年にはクラス優勝を飾り、特に78年にはワークスカーを上回る成績を残した。アーヴィンは1973年にドライバーを引退してビジネスを一手に引き受け、エンジンのエキスパートだったマンフレートは開発に専念した。プライベートチームにどこよりも優れたコンペティションカーを提供していたのがクレマーだった。

クレマーは1977年に最初の"K"カーを製造。翌78年からスタンダードな935の開発に取りかかり、K3を造り上げた。K3もワークスカー同様チューブラーフレームを採用していたが、エンジンを着脱可能なサブフレームに搭載することで、緊急時に素早く取り外して作業できるように工夫した。

ボディワークはすべてが高価だが軽量なケブラー製だった。特に力を注いだのが空力で、フェンダーのエッジを立ててフェンス状にし、空気の流れを改善してダウンフォースを増やす工夫もしている。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curatorsLabo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curatorsLabo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Delwyn Mallett Photography:Pawel Litwinski 取材協力:ブルース・マイヤー、カネパ・モータースポーツ(www.canepa.com)

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