シェルビー・コブラCSX2000|史上最も崇拝される伝説的スポーツカーの起源

コブラ"CSX2000"伝説のはじまり(Photography:Pawel Litwinski and Darin Schnabel)



自身もレーシングドライバーであり、シェルビーのドライビングスクールの卒業生だった『スポーツカー・グラフィック』の編集長ジョン・クリスティは、間近ですべてを見た人物である。自著の中で、キャロルの長年の夢が実現する過程を記している。いつものようにステーキ・サンドウィッチとマティーニというランチの時間に、編集部のスタッフが最新の二つのニュースについて話し合っていたという。ひとつはフォードが221/260キュービック・インチのV8エンジンの生産を始めるというもの。もうひとつはブリストルが、ACロードスターに使われていた6気筒エンジンの生産を止めるというニュースだった。アイディアが閃いたのはまさにその時だったという。

「一週間後、シェルビーはデトロイトにいた。そしてその後、英国に向かった」とクリスティは書き残している。「キャロルはフォードにパワートレーンを、ACには車体を供給してくれるよう全力で説得したんだ」

その甲斐あって、ACは最初のコブラとなるシャシーナンバーCSX2000を供給してくれた。CSXはキャロル・シェルビー・エクスペリメンタルの意味である。『ワールド・レジストリー・オブ・コブラ&GT40』によれば、ACはエースのメインフレームの板厚を上げ、サスペンションを強化、さらにインボード・ディスクブレーキやソールズベリー・デフなどを装着したという。そこにフォード221 V8エンジンを積んだ車は、キャロルとACのボス、デレク・ハーロックによってMIRAでテスト走行を行った後に、さらにリーフスプリングを延長したり、Aアームの形状を変更するといった改良を受けたという。満足できる結果を得るとエンジンが下ろされたCSX2000は、1962年2月2日、アメリカに向けて飛行機に積み込まれた。

スポーツカーの世界に発生したハリケーン
シェルビーの契約カメラマンを長く務めたデイブ・フリードマンによれば、ムーンの工場に車が到着するや、メカニックたちが群がってフォード260 V8エンジンと4段トランスミッションを8時間足らずで載せ、その後すぐにジョン・クリスティが金属剥き出しの車のステアリングを握って、獲物のコルベットを求めて路上に走り出たという。

その時の経緯は『スポーツカー・グラフィック』誌の1962年5月号に掲載されている。「私たちは日が暮れるまでその車を存分に楽しんだ」とクリスティは書いている。「慎重に言ったとしても、それまで経験したことのない興奮を覚えた。その加速力たるやまさに爆発的で、これに匹敵するのはフェラーリかチューンしたコルベットぐらいのものだ」

シェルビーは彼の自慢の子供を、アメリカで最も重要なニューヨーク・ショーでデビューさせたがった。アルミ剥き出しのボディに塗装する仕事は南カリフォルニアで知られたコーチビルダーのディーン・ジェフリーに依頼した。腕利きの職人が車体をきれいに磨き上げた後、キャロルは彼に何色に塗ったらいいと思うかと訊ねた。「確か"鮮やかなものがいいなら、黄色にするのはどうだろう"と答えたと思う」とはジェフリーの思い出ばなしである。「シェルビーは金がなかったが、私は心配には及ばないと言った。ニューヨーク・ショーがうまくいったかどうかを見てから考えればいい、と」

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Winston Goodfellow Photography:Pawel Litwinski and Darin Schnabel

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