あのスーパーカーが壁に激突! カウンタック・プロトティーポの秘蔵クラッシュテスト写真

クラッシュテスト!(archive images:Giles Chapman)



ご存じのとおり、LPは"縦置き"を意味するイタリア語、"Longitudnale Posteriore"の頭文字を取ったもので、500は排気量5リッターを意味する。ジュネーヴショーに出展するためにLP500は積載車で運ばれたのではなく、ボブ・ウォーレスが自走でアルプス越えをしてきた。同乗したカロッツェリア・ベルトーネを率いるヌッチオ・ベルトーネがイタリア南部の方言で驚きを表現する「クンタッシュ:COUNTACH!」と口にしたことを命名の由来としている。日本語でカウンタックと呼ばれるのはローマ字、ドイツ語、イタリア語がミックスされた誤ったものだが、もはや修正されることはないだろう。

ジュネーヴショーを訪れた人が"クンタッシュ"と言ったかは分からないがLP500は大きな絶賛を浴び、1972年の春から市販化に向けたテストがスタートした。ただ、新興スポーツカーメーカーゆえに予算は限られ、プロトタイプを造る余裕はない。そうした理由から、ジュネーヴショーで披露されたLP500はそのまま市販に向けたプロトタイプへと役割を変えて、プロジェクト112の開発が進められた。風洞設備を持たないランボルギーニは、LP500の随所に羊毛を貼り付け、並走したフィアットから写真を撮影して"毛糸のたなびき"を確認するという"古きよき手法"を用いて空力特性を確認した。

プロトタイプで特に問題となった点は、5リッターV12エンジンの発熱量とガンディーニのスリックなデザインだった。ガンディーニにとっては悪夢だっただろうが、リアにエアスクープを設けなければならなかったほか、ボディ随所にNACAダクトを配さざるを得なかった。さらに5リッターエンジンもエスパーダで用いられた4リッターV12へとダウンサイジングを余儀なくされた。このプロトタイプはあくまでも"コンセプト・ショーカー"の仕立てだったゆえに、テスト中にボディ剛性不足がたびたび問題として浮上した。モーターショーに間に合わせるために突貫作業で熔接された、"見栄えを重視した"スチール製モノコックボディが脆弱だったのだ。そこで、量産車にはボディ剛性を確保するために、レーシングカーさながらの鋼管スペースフレームにアルミパネルのボディを架装することになった。

プロジェクト112はコンセプトカーの誕生から2年間の開発を経て、1974年にホモロゲーション取得のために衝突安全試験を行うというステージにまでこぎつけた。ちなみに最高速トライアルのために、フィアットはランボルギーニにテストコースの使用を許可した逸話が残っている。おそらく、フィアット傘下のフェラーリが気にしなければならないライバルの性能を知っておきたかったのだろう。ただ、衝突安全試験を行う施設の使用は認められず、ランボルギーニはイギリスのMIRA(自動車などの車両開発エンジニアリングや試験設備の提供を行う会社:現在は日本の堀場製作所傘下)にそのノウハウを頼った。当初はイギリスの自動車メーカーのための施設であったが、サーブに続いてランボルギーニにもその門が開かれた。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA(carkingdom) Words and archive images:Giles Chapman

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