クライスラーとの知られざる関係から生まれた名車|フィアット8Vギア・スーパーソニック

1953年フィアット8Vギア・スーパーソニック(Photography:Dirk de Jager)



シャシーナンバー"000040"
写真の車、"000040"を購入したのは、オハイオ州ケントに住むポール・ロスJr.だった。ロスの家はファジョルが経営するツインコーチ社の工場の近くにあり、父親のポールSr.はルー・ファジョルの友人で、パワーボートをよく牽引していたという。ポールJr.の息子ビルは次のように話す。

「祖父の家の裏手には、レースボートの"スロー・モー・シャン"の1台がかなり長い間保管されていましたよ。父も祖父に連れられて、ルーや仲間と一緒にチューニングに出かけたそうです。スロー・モー・シャンを走らせるために、オハイオ州北東にあるミルトン湖へ行きました。ルーの妻の車、シャシーナンバー000049は、ミシガン州デトロイトのジェリー・ファーバーのものになりました」

ポール・ロスJr.は、1960年代に妻と別居すると、スーパーソニックとともにカリフォルニア州サンディエゴへ移り住んだ。息子のビルは母親に育てられたが、1974年に父の元へ移った。ビルはこう振り返っている。

「当時、スーパーソニックは家の車寄せに置きっぱなしだった。ボディはソリッドなイエローだったよ。コンディションはひどく、車内はボロボロで、エンジンも積んでおらず、フルレストアが必要な状態だった。父はそのままにしていたが、1970年代後半に、ロチェスター製の燃料噴射装置を備えたシェビーのスモールブロックV8エンジンを載せた」

「車は赤に塗り直され、新しいベージュのインテリアになった。それから数年は父も慎重に乗っていたが、1985年頃には使わなくなっていた。私は、レイ・ファジョルと会ったときのことを覚えているよ。1976年、私が高校3年のときに、カリフォルニア州レイクサイドへ訪ねてきたんだ。ペプコのスーパーチャージャーを組み込んだトヨタ・セリカに私を乗せて飛ばしてくれた。フレンドリーで感じのいい人だったよ」

ビルは2001年頃に父親からスーパーソニックの所有権を受け継いだが、車はひどいコンディションだったという。「私のものになってから、エンジンとトランスミッションを換装し、ブレーキをリビルドして、ボディも塗装し直す準備をしていた。レストアが完了する前に、マーク・ビヘーゲルに売却したんだ」

再びペブルビーチに
ビヘーゲルはベルギーに住むフィアット8Vのエンスージアストで、2013年2月にスーパーソニックを購入した。その経緯を次のように語る。

「2012年11月に、ロサンジェルスとサンディエゴの間にある小さな町でこの車を見つけた。一目であのシルエットに魅了されたよ。当時にしては非常に未来的だ。私は8Vザガートと8Vシアタ208も所有しているので、次の車も当然8Vだった」

「もちろん、特別なヒストリーを持っているところにも惹かれた。私はヒストリーのない車は買わない。かつてのオーナーはレーサーであるだけでなく、特別な車を所有する稀代の人物だった。この車は1955年にペブルビーチでクラス最優秀賞を獲得しているから、2015年のペブルビーチに再び出品することが私の目標になった」

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:David Burgess-Wise Photography:Dirk de Jager

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