クライスラーとの知られざる関係から生まれた名車|フィアット8Vギア・スーパーソニック

1953年フィアット8Vギア・スーパーソニック(Photography:Dirk de Jager)



8Vスーパーソニック
ギアの8Vスーパーソニックは、1953年のパリ・サロンで展示され、ショーの華となった。その後、このプロトタイプは、デトロイトでスピードショップを営むエンジニアのポール・ファラゴの手に渡った。ファラゴはイタリア語に堪能で、クライスラーのヴァージル・エクスナーがセグレやボアノとやり取りする際に通訳を務めていた。ギアは3年間でさらに14台の8Vスーパーソニックを製造し、他にアストンマーティンDB2/4やジャガーXKのシャシーを使ったバージョンも造られた。

ギアの販売記録は長く行方不明になっており、1960年代後半から70年代初頭のアレハンドロ・デ・トマソの時代に処分されてしまったと考えられる。しかし、1956年1月の『Motor Life』誌に、ファジョルの8Vスーパーソニックはクライスラーが入手した4台のうちの1台だと書かれている。クライスラーはおそらく研究目的で入手したのだろう。

ルー・ファジョルは、パフォーマンスの向上をとことん追求する人物だった。スーパーソニックにも、自身が経営するペプコ社のスーパーチャージャーを2基装着し、ゼニス製キャブレターを組み合わせることで30psパワーアップさせ、推定最高速度は140mph(225km/h)に達した。また、複数のブレードからなる"個性的"なバンパーを前後に取り付けている。この姿で1954年にワトキンスグレンでお披露目され、1955年にはペブルビーチ・コンクール・デレガンスでクラス最優秀賞に輝いた。

当時、カリフォルニア州ラ・メサでファジョル経営のスピードショップに勤めていたフレッド・パンによると、1958年頃、フィアットのエンジンとトランスミッションは、シボレーの燃料噴射付きスモールブロックV8エンジン、通称"フューリー"に換装されたという。新しいエンジンは、3度のインディ500王者で1951年に引退したマウリ・ローズの手でセブリング仕様にチューンされていた。オリジナルの8Vエンジンがその後どうなったのかは一切分かっておらず、スクラップになった可能性が高い。

ルー・ファジョルはよほど中途半端が嫌いだったと見え、やはりクライスラーのK.T.ケラーを通して、妻キャリルのために8Vスーパーソニックをもう1台入手した。2台の後部には、リベット留めの大きなテールフィンとコンティネンタル製スペアタイヤキットが取り付けられていたが、ルーの死後、車を受け継いだ息子のレイ・ファジョルがこれらを取り外した。レイは数年後の1960年代後半に売却希望の広告を出した。その際にフィアット8Vの専門家であるエリック・ニールセンが調査に当たり、コンディションはよくないと報告している。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:David Burgess-Wise Photography:Dirk de Jager

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