クライスラーとの知られざる関係から生まれた名車|フィアット8Vギア・スーパーソニック

1953年フィアット8Vギア・スーパーソニック(Photography:Dirk de Jager)

このフィアット8Vギア・スーパーソニックには、車とそのオーナーにまつわる数奇な物語が秘められている。

突然だが、ファジョルという名の自動車が存在したことをご存知だろうか。それは「世界最大のエンジンを擁する世界最高級の車」と銘打った巨大なモンスターだった。カリフォルニア州オークランドで製造され、ホール・スコット製の直列6気筒SOHCの1万3514cc航空エンジンを擁し、最高速は116mphに達するといわれていた。そのファジョルとフィアット8Vギア・スーパーソニックには、どんな関係があるのだろうか。

血にガソリンを宿した家系
ルー・ファジョルの父、フランク・ファジョルはアイオワ州デモイン出身で、他の兄弟3人と1898年から自動車産業に携わり、1917年には元雇い主のルイス・H・ビルや友人とともにファジョル製自動車を発表した。

ファジョル家は125件以上の特許を所有し、さまざまな自動車販売店を経営していた。また、米国で最大級のトラック/トラクターメーカーであり、バスメーカーとしては国内第2位を誇った。第二次世界大戦中は、米軍初のジェット戦闘機であるロッキード製P80シューティングスターのパーツ製造も担った。

ルー・ファジョルが事業を受け継いだのは終戦後のことだ。抜け目のないビジネスマンである彼は、巨万の富を元手に自由奔放な暮らしを楽しんだ。また、インディ500を席巻したオッフェンハウザー・エンジンのルイス・マイヤーや、カムシャフトやキャブレターのメーカーとして名高いエド・ウィンフィールドなど、スピードを追求する先駆者たちとも交流があった。

ファジョルはレーシングドライバーとしても活躍し、パワーボートのレーサーでもあった。しかし、1955年8月5日、シアトルのワシントン湖で開催されたゴールドカップの予選中に、ファジョルのボート"スロー・モー・シャンV"は165mphの高速で後方宙返りして、脊椎と肋骨の骨折のほか、肺も損傷、心臓にも回復不能な傷を負ってしまう。この恐ろしい事故でレーシングキャリアは終わりを迎え、そのとき負った怪我が直接の原因となって、1961年に54歳の若さで亡くなった。ファジョルがモータースポーツで獲得した優勝トロフィーは74個に上った。

短くも充実した人生の中で、ファジョルは"K. T."ケラーと親交を深めていた。ケラーはクライスラーで1935〜50年に社長を、1950〜56年に取締役会長を務めた人物だ。この交流を通して、ファジョルは1954年にフィアット8Vギア・スーパーソニック、ボディナンバー807を手に入れたのである。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:David Burgess-Wise Photography:Dirk de Jager

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