マセラティのロードカーの頂点に君臨する傑作|マセラティ・メキシコ・フルア

1967年マセラティ・メキシコ・フルア(Photography: Dirk de Jager)



ジュネーヴでフルアのスタンドを飾る
フルアが手がけた2台のメキシコのうちでも完成度の高いのが、ここに紹介する車だ。当初は4.2リッターと報じられたが、4.7リッターのV8エンジンを搭載していた。このシャシーがボディ架装のためにカロッツェリア・フルアに送られたときには、まだエンジンは動かない状態であったという。長年、マセラティのファクトリーでアーカイヴを管理していたエルマンノ・コッツァによると、それほど急いでいた理由は、1968年のジュネーヴ・モーターショーに間に合わせるためであり、ショーの会場でフルアの最新作として披露された。

完成したスタイリングは、標準生産型と比べて均整のとれたものに仕上がった。全体としてはメキシコのシルエットをそのまま生かしているものの、標準型のほうが丸みをおびて、ゴードンキーブルを思わせるのに対して、フルアのメキシコはよりシャープで、初代クアトロポルテやアガ・カーンの5000GTと似た点が多く、その発展形といえる。

この車こそフルアの最高傑作といえるのではないだろうか。フルア自身は、自作のどれを気に入っていたか何のコメントも残していない。また、伝記をまとめたジュリアーノ・シッリによると、フルアは単独で仕事をしていたそうなので、誰かに尋ねることもできない。フルアは1983年に亡くなっている。

メキシコ・フルアの最初の塗色は淡いグリーンで、後に塗り替えられたが、現在はオリジナルカラーに戻っている。インテリアはボルドーのレザーで設えられた。ジュネーヴでのデビュー後は、しばらくのあいだ走行不可能な状態のままフルアで保管していたと考えられており、1969年12月に再びマセラティのファクトリーに戻された。この間のいきさつは不明だが、マセラティ・クラシケでエルマンノ・コッツァの後任を務めるファビオ・コッリーナはこう語っている。

「エルマンノが何年も前に書いたメモを見つけました。それによると、最初に製造された1967年9月当時には、一部のパーツが組み付けられていない未完成の状態で、動かないモデルとしてジュネーヴ・モーターショーでフルアのブースに展示されたのです。その後、ファクトリーに戻って仕上げられ、ようやく1970年3月にオート・パリ(バルセロナの輸入販売業者)に届けられました。ファクトリーで仕上げをしている際に、オート・パリがカラーの変更を要望したものと推測できます」

フルアの元を離れてからのヒストリー
ファクトリーでブルーに塗り直されたメキシコ・フルアは、ジュネーヴでのお披露目から2年後の1970年3月24日にオート・パリに売却され、4月1日に船でバルセロナへ送られた。ファクトリー中庭で撮影した当時の写真を見るとボラーニ製のワイヤーホイールを履いているが、売却された際にはマグネシウム製の"スターバースト"ホイールを履き、パワーステアリングとエアコンディショナー、ラジオを装備していた。

オート・パリのオーナーであるハビエル・プジョルはマセラティの熱心なプロモーターで、バルセロナのモーターショーではいつも見事な展示を行っていた。ファクトリーの納車に関する書類では、4月18日のモーターショーに合わせて直接会場へ送られたことになっているが、実際に展示された形跡はない。その後、一旦は地元の顧客が購入したが、1974年に発売したばかりのクアトロポルテIIと入れ替えにオート・パリに戻ってきた。これがのちに不思議な縁を結ぶこととなる。さらにスペインで3人のオーナーの手を渡り、その間にボディカラーはシルバーに、テールライトはクアトロポルテIのものに交換された。そして1980年にバルセロナ出身のマセラティ・コレクターが入手する。このオーナーはメキシコ・フルアでモンジュイックの丘を巡るツーリングラリーに出場してトロフィーを獲得したほか、モナコまで走って国際マセラティクラブの集会に参加するなどしている。このオーナーがダークグレーに塗り直している。その後メキシコは30年以上にわたって、スペイン北東部の田園地帯にある邸宅でひっそりと眠っていた。

昔は、ピレネー山脈の南へ渡ってしまった車の存在は忘れ去られることが多かった。メキシコ・フルアもとうの昔に失われたものと考えられており、近年になって長年のオーナーがファクトリーに連絡を取ったときには、エルマンノ・コッツァも非常に驚き、「いったいどうしてその車を持っているんですか」と尋ねたという。


ボルドーのレザーで設えたインテリアはオリジナルのままで、標準型との共通点は少ない。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Marc Sonnery Photography: Dirk de Jager THANKS TO the owner, to Giuliano Silli, the Frua family archivist Roberto Rigoli, Stef

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