フェラーリが生まれる場所|貴重なファクトリー訪問で撮影できた初公開写真9枚

フェラーリ工場

1986年、出張でイタリアを訪れたフィリップ・ラッシュフォースは、幸運にもフェラーリのファクトリーツアーに招かれた。彼がそこで撮影した写真が公開されるのはこれが初めてのことだ。

私がフェラーリのファクトリーを訪問できたのはマークス&スペンサーのおかげだ。1986年、私はマークス&スペンサーで販売する陶磁製タイルの仕入れ先を探すため、イタリアに出張した。当時、タイルの生産といえばモデナ周辺が中心だった。そして、私がコンタクトをとったタイル業者がたまたまフェラーリの上層部とコネクションがあり、私がフェラーリ・ファンであることを知ると、即座にその人物と連絡を取り合って特別なツアーが私のためにアレンジされることになった。たとえフェラーリで新車を購入したユーザーでさえ、こんな待遇を受けることは滅多にないらしい。しかも、工場内での写真撮影まで一部了承されたのだ。ここに紹介する写真は、すべて初公開のものばかりである。

案内されたファクトリーの内部は、明るく、清潔で、実に整然としていた。職人の数は決して多くなく、工場内部の時間はゆっくりと流れているように感じられた。おそらく、当時は1日あたり10台程度しか生産されていなかったはずだ。

まだ塗装されていないフィアット・トラクターのキャビンをたくさん見かけたことにも驚かされた。聞けば、兄弟会社であるフィアット・アグリのトラクター工場がキャパシティ不足のため、フェラーリが作業の一部を手伝っていたらしい。私たちは、その場を素早く立ち去ることになる。

生産中のフェラーリは、どれも赤くペイントされるようだった。この日、私は何十台ものフェラーリを見かけたが、赤以外だったのは黒の328が1台、そしてテスタロッサの白と黒が1台ずつの計3台だった。同じくインテリアのレザーはタンかクリームのどちらか。これとは対照的に、鋳造工場ではV12エンジンのブロックをほとんど見かけなかった。なにしろ、当時のフェラーリでV12を積んでいたのは、発表されたばかりの412サルーンだけだったのである。

ツアーの締めくくりとして、私たちは通りを挟んだ反対側にあるカヴァリーノ・レストランで昼食をとった。レストランの壁には往時を思い起こす品々が掲げられていたが、その飾り付けはあくまでも控えめだった。

フェラーリ自身はミュージアムを運営していないので、社内のどこかに過去のモデルを保管していないのかと訊ねたところ、即座に「ノー」の答えが返ってきた。

それでも、この日、私は記念の品を持ち帰ることができた。それは、レストランから贈られたカヴァリーノの皿。あれからおよそ30年が経つが、ここに紹介した写真に皆さんが関心を持っていただけたなら、これ以上の喜びはない。



編集翻訳:大谷 達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words & Photography:Philip Rushforth

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