クルー&グッドウッド・ロールス-ロイス|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.7

1967年、クルー工場建屋外に置かれた新型シルヴァー・シャドウのボディ群



クルーとシルヴァー・シャドウ
ロールス-ロイス・シルヴァー・シャドウ(以下シャドウと略)の取材は、発表2年後、発売1年目という異例に早い時期に実現した。英国自動車ライターギルドの幹事で『MOTOR』誌編集長、そして完璧な英国紳士であるデニス・ミラー-ウイリアムスR-R広報部長の尽力によるものだった。

1967年初夏、ロンドンからミドランドエクスプレス特急で2時間、280km北東のクルー駅に着いた。出迎えてくれたのは、磨きあげた黒のファンタムVリムジーンだった。ショウファー氏は、ドアを開けると、Bポスト(ピラーの英語)裏を指し、「旧植民地総督車ですが、奇妙なグリーンでした」と教えてくれた。今は役員車とのことだった。

発売から1年経った時点で、160台がラインを離れ、日産20台のペース、注文から配車まで平均2年、理想目標は6カ月(!)といった。英国内の超高級車の常で、「お客様は、すでにロールス-ロイスをお持ちで、お待ちいただけます」と。

当時のR-R社は、ヴィッカース航空機社の資本下で、ブリストル・シデレーを吸収したばかりで、米プラット&ホイットニーに次ぐ世界第二の航空エンジンメーカーであった。社員総数5万人うち3000人が自動車部門にいた。

その後、航空エンジンと自動車部門は分離する。1998年、ヴィッカースはR-R自動車社とクルー工場をVWグループに売却したが、BMWとの係争でVWがベントレーとクルー工場、BMWがロールス-ロイス商標を入手する決着となる。

クルー工場とBMWの新グッドウッド工場の興味ある対比は、1967年と2015年の現場写真が語るだろう。

ここでは、シルヴァー・シャドウなるR-Rとしては革新的新型車に触れる。

第二次大戦後のロールス-ロイス車は、本質的には戦前型の改良版であった。先代シルヴァー・クラウドは、梯子形フレーム、前輪ダブルウイッシュボーン独立懸架、後輪は半楕円形板リーフバネ(革巻き)支持のリジッドアクスル、レバータイプ・ダンパー、4輪ドラムブレーキを用いた。ボディは自社製サルーンが標準であるが、まだ数社が存続していたコーチビルダーに特注もできた。クラウドは背の高い、古典的威風堂々たる大型車である。

新型シャドウは、全長5170mm、全幅1800mm、全高1520mmの当時の米国車ミドサイズに近い。

デザインを指揮したのはジョン・ブラチリーだ。戦前、コーチビルダーのガーニー・ナッティングでチーフデザイナー務めたあとR-Rへ移り、大戦中はスピットファイアー、ハリケーン戦闘機のマーリン液冷V12エンジン用カウリングの設計という「退屈な仕事」をしたという。戦後、デザインチームがよりモダーンな新車を提案するが、経営陣は「お客様は伝統的形態を求める」と否定し、ブラチリーが短時間で古典デザインを造り出した。シルヴァー・ドーンやクラウドと、そのベントレー版である。魅力ある例外はベントレー・コンティネンタルRにあるが、ブラチリーは功は部下ふたりに帰するというものの、初期コンセプトには関与したらしい。

ブラチリーは、シャドウにおいて溜めていたモダーンデザイン、プロポーション、動的、静的性能表現のエネルギー放ち、エレガンスとダイナミズムの見事な調和を生んだと思う。1967年のクルー訪問から現在のBMW期にいたるまで、果たしていないのがブラチリーのポートレート写真入手だ。どなたかご存知ないか。

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文、写真:山口京一 Words and Photos: Jack Yamaguchi

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