あれほど支持が高かった「フォード・アングリア」がカーレースから姿を消した理由とは

フォード・アングリア

あれほど人気があったフォード・アングリアが近年はヒストリックカーレースにあまり姿を見せない。なぜなのだろうか。

1939年に初代がデビューして以来、フォードは数え切れないほど多くのアングリアを生み出してきた。そのなかでもっともポピュラーな存在といえば、リアウィンドウが通常とは逆向きにスラントした最後のモデルだろう。1959年から1967年にかけてダゲナムとヘイルウッドの工場では100万台を超えるアングリアが生産された。そのうちのほとんどは997ccエンジンを積んだもので、1963年にオプションとして登場したスーパー(1198ccエンジンと1速にシンクロメッシュが与えられていた)は、計8万台が世に送り出されたに過ぎない。

レース用としても逸材だった
その豊富な生産台数、簡素な構造とレイアウト、そして740kgという軽い車重のため、多くのクラブ・レーサーたちがアングリアを手に入れたが、そのほとんどは、スタンダードの997cc(39bhp)や、48.5bhpの1200ccをより大きなエンジンに積み替えていた。78bhpを発揮する1498ccのコルティナGTユニット、もしくは最高出力105bhpのロータス・ツインカム・エンジンは、アングリアのギアボックスやエンジン・マウントにそのまま取り付けられただけでなく、多くの補機類も同様に装着できたからだ。コルティナのストラットやディスクブレーキもこの例に漏れず、さらにはギアボックスやデフも様々なタイプのものから選べた。つまり、新品を購入しなくても、ジャンクヤードに行って適当な部品を手に入れれば、自分好みのアングリアを作れたのである。フォードの合理的な設計手法は、レース愛好家の経済的負担を軽くする効果もあったのだ。いうまでもなくロータスやコスワースなどはフォード製エンジンをベースにしている。

当時は、簡単な整備であれば一般の人々にもできたから、ヨーロッパ・スポーツカー・チャンピオンで長らくフォードのワークスドライバーを務めてきたクリス・クロフトや、後にグランプリドライバーになったロジャー・ウィリアムソンのような人物が、アングリアを足がかりにしてレースのメカニズムを学んでいったことはごく自然なことだった。

当時のレーシング・アングリアに感化される
1960年代にはイギリス・サルーンカー選手権でアングリアを走らせるプライベートチームをフォード自身がサポートしていた。ここに登場する2台も、こうした活動にインスピレーションを得て誕生したレーシングカーといえる。ホワイトにペイントされた1台はナイジェル・ケンプの所有で、アニタ・テイラー(フォードのワークスドライバーで、ロータスからF1に出場したトレヴァーは彼の兄弟)のドライブにより1966年のイギリス・サルーンカー選手権でタイトルを勝ち取った、ブロードスピードのマシンがベースだ。いっぽう、クリムソン・レイクと呼ばれるビビッドな赤に塗られているのは、この時代に活躍したヒストリックカーの熱狂的ファンであるマックス・ロストロンがオーナーだ。ちなみに、このボディカラーはイルフォードにベースを構えるマイクとジョンのヤング兄弟が主催していた、スーパースピード・チームのトレードマークでもあった。

ブロードスピード、スーパースピード、そしてアラン・マン・レーシングをくわえた3チームは、フォードのサルーンカーレース部門と深い結びつきを持っていたが、これは効果的な戦略でもあった。彼らは互いに競い合う関係にあったが、それと同時にレースで優勝する大きなチャンスも与えられていたのだ。スーパースピードはレース仕様をロードカーにコンバートした6台のアングリアを世に送り出しており、1650ccのコルティナGTエンジンを搭載したこのモデルにはロータス・コルティナを上回る値札がつけられていた。このうち、唯一現存している1台をマックスは所有している。

編集翻訳:大谷 達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Mark Hales Photography:John Colley

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