行方不明だった名車「ランチア・アウレリア」が発見され、往年の輝きを取り戻すまで

Photography:Ashley Border, Simon Clay, Paul Harmer



白いペイントを削り取ってみると、リアウィンドウの溝の下からミッレミリアとカレラに出走した時の黒い塗装が見つかった。また、トランクリッドの下とドア枠には、赤のオーバースプレーが残っていた。これらはル・マン出走にあたってルラーニ伯爵が赤色にこだわったという逸話と符合する。一方、車の後部には不可解な点があった。ルーフを下げたのはカレラ参戦の数週間前と考えられるが、当時の写真でボディ後部を見ると、高さは低いものの、標準仕様と同じなだらかなラインだ。ところが、この車では、コブのように盛り上がってサイドも膨らんでいるのだ。リアに手が加えられたことは明らかだった。リアウィンドウもどこかおかしく、トランクリッドはアウレリアのものではなかった。トランクのフロアは正しいものだったが、長距離レース用の燃料タンクが載せられ、内部全体が分厚いアンダーコートに覆われていた。

車に付いてきた箱の中には、半分に切断したごく初期型アウレリアのバンパーと、黄ばんだランチアのハンドブック、ランチアのパーツナンバーを付した無数の小さな封筒が入っていた。ある封筒に鉛筆で書かれた文字は、目を細めて見ると「ブラッコ」と読めないこともない。これだけ証拠が揃えば充分だった。長く行方不明だった車に間違いない。

カレラ・パナメリカーナ仕様に戻す
現オーナーは、正真正銘の本物だけを求める人物で、レースキャリアのあるアウレリアの逸品を長い間探し求めていた。それが高じてレプリカの製作を依頼し、その作業が始まった矢先にこの車が現れたのだ。契約はまとまり、アウレリアは英国に留まることになった。

レストアを任されたソーンリー・ケラム社は、アウレリアを知り尽くし、何十台も手がけた経験を持つ。作業に細心の注意を要することは明らかだったが、問題は、どの時代の姿に復元するかだ。新車当時に戻すべきか、それとも発見時の姿を生かすべきか。

結論は、ルーフのモディファイを生かすために、1951年カレラのスタートラインについたときの姿を正確に再現することに落ち着いた。これは初年度にその手で素晴らしい成績を収めたオーナー、ジョヴァンニ・ブラッコが車を手放したときの姿だ。やっかいなのは、ボディ後部が変更されていた(トゥリージは、メキシコを離れる前のことと見ている)点だった。そのため、写真を元に寸法を割り出してボディを作り直す必要があった。「リアの形状を作るのが一番難しかった」と作業を指揮したウェイン・ケラムは告白する。当然ながら、オリジナルのパネルはできる限り生かした。車から外し、鈑金修正して再び使用している。「新しいパネルで手のひらより大きいのはトランクリッドだけだ。40kg以上の修正用の鉛を削り取った」とケラムは話す。

ほかにも変則的な部分があった。フロントのシートがランチア・アルデアのものだったのだ。標準のアウレリアはベンチシートなので、横方向のサポートを求めて交換したのだろう。車内のドアハンドルはユニークなスライド式だが、オーナーはこう話す。「役立たずだ。なぜあんなものを付けたのか。プルコード式だったという証拠があればよかったんだが、それは見つからなかった」

ウィンドウガイドは、ル・マン参戦時に付け加えられたものなので残した。スロットルペダルとナルディ製エアスクープは、ブラッコが使ったオリジナルそのままだ。



2.0リッターV6エンジンにはソレックス製キャブレターを2基装備。フロントシートはランチア・アルデアのもの。スライド式のドアハンドルは使いにくいとオーナーはいう。フロアにはナルディ製のシフトが備わる

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編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.)Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Paul Hardiman 

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