ルイーズとピーター|フェラーリ所属のGPドライバーと舞台女優の美しくも儚い日々

Photographs: Louise King Collins Archive



そんなとき、ピーターの事故が起きた。1958年8月3日、ニュルブルクリンクで行われたドイツGPだった。

「あのときの恐怖は忘れられない。彼に会わせてほしいと頼んだの。でも、ひどく青ざめた足を一目見たとたん、私の人生最愛の人が亡くなってしまったとわかったわ。マイクを探したのを覚えている。訳が分からなかったことや、泣いたことも…」

その5カ月後にマイク・ホーソーンもこの世を去る。ジャガーを運転中にギルフォードのバイパスで事故を起こしたのだ。

「彼は私に会うためにロンドンへ向かっている途中だったの。私はホテルの部屋で待っていたら、そこへマネージャーが来て、彼の事故を伝えたのよ」

「私はルイーズ・コリンズとしてレースの世界を去って、ニューヨークでルイーズ・キングとして舞台に帰りました。それで命を救われたようなものよ。その後、1962年にトロントで『トゥデイショー』のキャスターの仕事をすることになりました。この仕事は6カ月だけのはずでお受けしたけれど、結局、10年以上も続けることになって。思い返せば、ピーターと過ごした18カ月は、女としてこれ以上望みようがないくらいの夢のような日々だったわね」


1957年式マーキュリー・コミューター・ステーションワゴンとの1枚。アメリカで入手しイギリスへ送ったが、その後に売却し、代わりにランチア・フラミニアを購入した。サイドミラーの下に跳ね馬のステッカーが貼ってある



ピーターとルイーズ。モンテカルロのカフェで。この数日後に行われた1957年のモナコGPでピーターは4周でクラッシュしてリタイアに終わった



1957年12月、バハマのナッソーにあるパイロット・ハウス・クラブで



エンツォから贈られたフェラーリ250スパイダーに乗った二人。グッドウッド・サーキットにて。元ピーター・コリンズの車は現存していて黒に塗られているが、この写真から当時は濃紺だったことがわかる。ボディはピーターの注文によって架装されたもので、ドアが肘を避けるように大きくカットされている 



スターリング・モスとその"クルー"。バンパーに腰掛けているのがルイーズ

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Massimo Delb. 

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