アメリカの「歴史遺産」という栄誉を得たシェルビー・コブラ・デイトナの数奇な運命

シェルビー・コブラ・デイトナ・クーペ(Photography: Michael Furman)



当時の状況を知るドナの友人は当時のことをこう語っている。イヤーズは、彼女が死ぬ何日か前に彼に対して車を売ったと書かれた書類を持っていたというのだ。それが正しければ遺産の対象にはならない。彼女の元夫や前オーナーのフィル・スペクターまでもが、イヤーズに車を渡してなるものかと必死だったので、その対抗策として考え出したのかもしれない。そのいっぽうでイヤーズはひそかにフィラデルフィアの脳神経外科医フレッド・シメオネと急に取引を始めた。今ではよく知られたコレクターで、レストアがされていなくても、価値のある車であれば集める人間である。シメオネはこのとき、まだ要注意人物の対象外だったのである。

シメオネは語る。「あのシェルビーは聖杯みたいなものだったね。偉大なアメリカンレーシングカーを集めることは、優れた英国人シェフを探すのと似ている。世の中にそんなに存在しないということだね。われわれはGT40を何台かとこのシェルビーを所有しているが、ワールドステージで大賞を勝ち取れるような車はほかにはない。過去の事例を見ても、フェラーリやジャガーやアルファ、そんなところがいつも栄冠を勝ち取るんだよ」

「イヤーズがあの車を探していたのは知っている。彼は自分で購入し私に売ってくれた。依頼を待つより私を優先してね。私を信用してくれたんだ。そこからがドラマの始まりだよ。彼は私のところに車を持ってくると私はすぐにガレージに隠した。これは誰も知らないことだよ」

「何カ月もの間、私は言いようのない強い欲望と恐怖におびえていたよ。強い欲望とは車のヒストリーに名を連ねたいという欲望。そのいっぽうで、いつ誰がドアをノックして車を持っていってしまうのではないか、そんな恐怖に毎日おののいていたんだ」 

ノックする者は結局現われなかった。シメオネの弁護士は車は他の誰のものでもないことを主張し続け、2001年12月、正式に判決が下った。シメオネは晴れてヒストリック・シェルビーのオーナーと認められた。考古学的価値を持つ工芸品としてのシェルビー・プロトタイプはようやく安堵の時を迎えたのである。

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編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation: Hidehiko OZAWA Words: Winston Goodfellow 

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